振り返り

去年思ったより書いてなかった。
美術館もあんまり行けなかった!もしかして10回も行ってない?と思って数えたら14回だった。春夏はそれでも定期的に行ってたのに秋になってガクッと頻度が落ちた。
秋冬はなんだかテンションが低かった気がする。父親に関するあれこれが済んだと思ったら、すぐ部署異動になったり同期が辞めたり、解決しかけていたトラブルがぶり返したり、とにかくめまぐるしくて、ひとつひとつ何があったかは思い出せるのに、それらについて感想を持つ時間がなかった。
だからあんまり書けることがなかった。

今年は…とにかく…もうちょい生活を整えたい。
最近(自律神経失調症になって以降)焦りやすくなって、焦っている自分ってかなり醜いから焦りたくない、という意識が変な感じであらわれることが増えた。出勤時間がどんどん早くなってたりとか。
それで自分自身に余裕が持ててるならいいんだけど、かえって一層焦りが増してるような気がして、めちゃくちゃ喉乾くし何?
かと思えば家の電気が切れたのは平気で2ヶ月放置したり、わざわざマッチングアプリに手を出して(ひとりになりたい)と失礼なことを考えるために人に会ったり、ここ最近の生活は頭と身体がちぐはぐだった。ずっと精神が昂ったままだったから、そろそろ落ち着かせたい。
※アプリで会った人は本当にいい人だった


夏に行った高校の同窓会がきっかけで、古い友人と再び連絡とりあうようになったのは、去年起きた数少ないいいことの一つだった。
年末に沖縄帰って会ってご飯食べて、お互いハマってる漫画やアニメの話をして楽しかった…。今後は友人と会うために帰ろうかな…とか考えている。
あ〜〜〜


引っ越しが決まったので、といっても今住んでる場所からごく近くなので生活圏はほぼ変わらないのだが、とりあえずまっさらな部屋に入ったら気分転換になって生活がうまくいくのではないかと他力本願じみたことを思っている。
引っ越したら置く場所がなくてストップしてたレゴを再開したい。その前にこの低いテンションで手続きが無事済むのかどうかが目下の悩み。

 

埼玉で埴輪つくった。これも去年のいい思い出の一つ。

 

 

近況(4ヶ月分)

最後に書いてから4ヶ月近く過ぎていた。
夏は毎月実家帰って、東京着いて速攻飲んで、とかやって結構遊んでたような。
職場の飲み会が多かったな。普段関わりがない人ともよく話してた。意識的にそうしてたわけではなく、そういう機会が多くて、ただ乗っかってただけなんだけど。
沖縄では高校の同窓会に出席して、東京で一部のメンバーと飲み直したりした。高校の友だちみんな賢くて偉いなと思った。

10月に部署が変わった。
なんか正直こりゃ〜異動するな!異動じゃなきゃ変だろとか考えてたから妥当なタイミングだったと思う。6年と少しの間だったが、人間関係に相当悩まされた部署だった。
新しい部署には最近やっと場に馴染んできたような、そうでもないような。
今愚痴とか書かないように昼休みに職場の休憩室で書いてる。

今年は美術館全然行けてないです。まだ5回かそこらじゃないかな・・・
別にノルマ課してないけど、10行けたら嬉しい。
母親が観光に来てて、その場の流れで行ったカップヌードルミュージアムはおもしろかったですね。

カップヌードルラクサ味定番化してください。


あと焚き火した

楽しかった!
火が見たいとか言うだけ言って当日なんにも手伝えなかった知識ゼロの人間も参加させてくれてありがたい。火は平等、火は本能。

雑記

今年の盆はヤバい。
諸々タイミングが重なって、祖母の三周忌、祖父の一周忌、父の新盆が一斉に来ることになった。
だから8月後半も帰るし9月も帰る。数えてみたら、実家に帰るために、今年はすでに飛行機に9回乗ってた。普段は盆と正月しか帰らないから、いつもの3倍は飛行機に乗るのが現時点で確定している。すごい!金がない・・・

先日、父の四十九日を迎えたので、親戚で集まってご飯食べた。

かりゆしウェア・アロハシャツ他

 

ネクタイ(一部)

家のものを片付けるにあたり、父がかつて集めていた服が大量に出てきたため、形見分けということで皆に気に入ったものを差し上げた。
封すら開けてないものもいくつかあった。皆さんは服を買ったらすぐ着てくださいよ。着ないまま逝ったらそれこそもったいないからね。
なんか意外と好評でほとんどなくなった!ありがて〜。親戚多くて助かった。
葬儀のときにルービックキューブの解き方を教えてくれた子が来てくれたのでまた話した。ネクタイ結べるよ!と言って実際にやってみせてくれた。賢い。空間把握能力すご。IQ3億。

私個人の近況はというと、最近生活サイクルを変えた。
今は仕事が忙しくない時期で19時台には家に帰れるので、ソッコー眠剤飲んで23時には寝てる。
そんで朝5時過ぎに目覚める。えらすぎ!信じられない。
眠剤ありきの生活だけど朝型になった。
日中つらすぎて、予定がない夜は一秒も起きていたくない。正直退勤の電車で眠剤飲みたいくらい。でもさすがに怖い。

だから友人と連絡とるのにタイムラグが出てて、割と交友で支障が出てるっちゃ出てるかもしれない。何時に連絡とったらいいかわからなくなってる。


そういえばTwitterの騒ぎがあったけど自分のアカウントは何も起こらなかった。何?API制限もそうだけど再ログインすら求められなかったのだが・・・
しかしはてなブログより先にTwitterでそういう騒動が起きるとはな。
Threadsも始めた。インスタグラムもやるしマストドンもやるしTwitterも今まで通り続けます。


父が亡くなってからいろんな人が気にかけてくれて大変ありがたい。
全然元気です、大丈夫、ありがとうと一人一人に言ってまわりたいです。

一か月の記録

前記事の通り、父が闘病の末亡くなった。癌だった。自分が見た父の様子。

3月後半 「父が歩けなくなったので、車椅子を買ってほしい」と母から連絡があり、Amazonで買って送る。
3月末 「やや危ない状態。まだ話しができるうちに一旦帰ってこい」との連絡。

4/21-24   帰省。思ってたより父が元気なので安堵する。ただ、足に水が溜まっていて歩きづらい様子。家の中のごく短い移動ならできる。量は少ないものの、同じ食事を食べる。訪問看護のスタッフが毎日来て、診療したりマッサージしたりしてくれる。スタッフに包帯の巻き方を教えてもらう。
この期間中に、延命治療の希望の有無を本人に確認した。


4/30  再び帰省。一週間で容態が悪くなっていて驚く。黄疸で皮膚がかなり黄色く見える。声も掠れ気味。
母が看病でやや疲れていたが自分にできることは相当少ないので、賑やかし役に徹することを決めた。
5/1  通院。できる治療はやり尽くしたため、最期を病院か家のどちらで迎えるか考えておくようにと言われる。とりあえず家に帰る。
5/2  地元の友人と遊ぶ。今思えばこのとき会っていてよかった…。

5/3  午前5時頃に母に呼ばれて飛び起きる。「腕のバンドエイドを剥がしたら血が止まらなくなった」とのこと。しばらくしたら落ち着いた。その後は家で過ごす。「肩を揉んでほしい」と言われたので揉んだが、骨張っていて筋肉が掴めなかった。
5/5  階段が登れないので、2階に上がる時は背中側を母が支え、私が前方から両脇を抱え上げて一段ずつ上がる。「力が強いね」と褒められる。
午後、洗った包帯にアイロンをかける。
夕方になっても
食欲が全然なく、半ば無理やり起こし、夕飯(豚肉の生姜焼き)をスプーンで口まで持っていく。食べ始めたら最後まで食べれる。新玉ねぎの味がわかっていた。食後、薬を飲むのを嫌がるが、なんとか飲ませる。

5/6  昼頃、多量出血。血圧低下のため、訪問看護スタッフの助言で救急車を呼び、母と同乗して病院へ。車内で父の氏名、生年月日を書いたが、揺れで文字が歪んだ。
失血死の恐れがあったため、緊急輸血。その間病院の待合室で説明を受け、輸血同意書、検査内容同意書に母がサインする。その他入院手続きの書類も記入。5時間くらいで手術が終わり、ICUに入る。ICUは面会禁止なので…と病院のiPadFaceTimeをする。ちょっとぼんやりした様子だったが意識はあった。
5/7  昼前に病院へ。午前中はICUにとどまっていたのでFaceTimeで父と話す。本人は余裕そうにふるまっていたが、主治医曰く「持って今週かな」とのこと。
午後、一般病棟に移る。食欲なし。足がむくんでいるので、空気圧でマッサージをする機械を足に着けていたが、「重い」と不満をこぼす。自力で動くことができないため、たまにマッサージしたり、姿勢を変えるのを手伝ったりした。石川県の地震のニュースを心配そうに見る。4時間ほど一緒に過ごし、夕方帰宅。握手をして病室を出る。これが最後の(意識がはっきりしている状態の)やり取りだった。

5/8に一時的に東京に戻る。9日は仕事。11日に沖縄に帰る予定だったが、10日に呼び出しがあり、フライトを早める。

5/10  午後6時半頃、空港から病院へ直行。呼吸はしていたものの意識混濁で、目を閉じたまま呻いている。呼びかけると呻きながら応えた気がしたので、かろうじて耳は聞こえていたのかもしれない。
9時頃帰宅したものの、11時半過ぎに呼び出され、再び病院へ。日付を越えてしばらくし、ゆっくり息を引き取った。


父は70歳に届かなかったが、胃をやったり心臓を悪くしたり、昔からよく体を壊していたので、癌が出現するまでむしろ長生きしたと思う。
ずっとヘビースモーカーで、禁煙を試みたことすらなく、とうとう最後まで辞めなかったが、肺癌ではなかった。まったく不思議だ。

斎場の霊安室にいる間、毎日腹の上に重いドライアイスを乗せていたが、父はもう不満を言わなかった。
骨上げのときにあの肩の骨を探したがわからなかった。
東京に戻る飛行機で雲の上を探しても父はいなかった。

一週間の備忘

父が亡くなったので、諸々の手続きの記録。

午前1時前 病院にて死亡
・(病院のスタッフ)点滴をはずし、体を綺麗にする。
・自宅から父親のスーツを取りに帰る。→ 到着後、スタッフがスーツを着せる。これがそのまま棺に入るときの格好になる。硬直が始まった手に煙草を握らせる。
・病院の受付で死亡届を受け取り、受領サインをする。
・葬儀屋へ連絡。

病室から院内の遺体安置室へ移動。葬儀屋スタッフが到着後、遺体とともに斎場へ移動。このとき午前3時半くらい。

午前4時前 斎場の霊安室
・焼香。
・葬儀屋スタッフと通夜、告別式の日程の仮決め。

午前6時 自宅着

午後3時 再び斎場霊安室
・通夜、告別式の日程確定。
・棺、供花、折弁当の選択、注文。それぞれ結構バリエーションがあり、数少ない楽しみ。

翌日正午頃 斎場霊安室
・納棺の儀。
・地元紙担当者とお悔やみ欄への掲出文の打ち合わせ。

3日目 斎場霊安室
・通夜。昼と夕方の二部構成。
・私は夕方のみ出席したので、昼間は自宅にて下記作業をしていた。
・・レンタルしていた介護ベッド及び歩行補助器の回収手配。
・・祭壇の設置の見届け。※設置は葬儀屋スタッフがやってくれた

4日目 斎場霊安室〜火葬場〜告別式会場
・9時前着、棺に入れるものを準備。
・霊柩車で火葬場へ移動。点火、収骨。火葬場で昼食をとっていたら、親戚の子がルービックキューブの解き方を教えてくれた。
・告別式会場へ移動。
・告別式後、遺影、位牌、遺骨、供花を自宅祭壇へ。

5、6日目 特になし。たまに来客対応。

7日目 墓所
・初七日。遺影、位牌、遺骨を運ぶ。
・初七日法要と四十九日法要を合同で実施。
・遺影、位牌は自宅へ持ち帰り、祭壇に飾る。

行事が終わったら病院で治療費の支払い、葬儀屋へ葬儀に係る費用の支払い。
今後は市役所でさらに細々とした手続きがある。


こんな感じだったかな。

雑記

先日歯医者に行った。
今まで通ってたところは近くてよかったんだけど、人気らしくて予約が取りづらいのと、予約方法が電話しかないのが億劫だったので、Web予約ができる別のところに変えてみた。
億劫って言葉いいよね。劫が億倍あるほどに長く感じるような時間みたいな。

そこが昨年建てられた新しいとこだったらしくて、ぴかぴかで白くて綺麗だった。
とりあえず初診だから口の状態診てもらお〜と気軽な感じでお願いしたら、めっちゃ詳細にデータ出してくれた。
口の中にカメラと鏡突っ込んで隈なく撮影してもらい、動画と静止画の両方と、結果をA4用紙3枚くらいに収めたレポートを見せてくれた(レポートは貰った)。すげ〜。
むし歯ができづらいラッキー歯並びですって言われた。やった〜。
でも親知らずは抜いといたほうがいいよって言われたから悩んでる。


最近の私はというと、まず職場のゴタゴタは、ひとつはある程度の決着がついて、もうひとつはまだ継続中。は、早く・・・早くこのつらいのがなくなってほしい。
まあ同じ部署の同僚に半年つきまとわれたあげく、逆恨みの末無視されてるだけなのだが(今では無視されている期間のほうが長くなってしまった)。
たぶん私が昨年度に休職した理由のひとつに自分がいると思いたくないんだろう。
しかし無視のしかたが露骨で子どもじみてて最近は笑えるようになった。三十歳すぎて既婚者でもこういう人もいる。
最初こそ自分がなにか間違えたのかな、と思い悩んだが、あんまり自責しても意味がないとわかった。
が、あわれなことに、たまにこの同僚と普通に接せている夢を見たりする。私はこの同僚のことが好きでも嫌いでもなんでもないというのに悲しすぎる。
ある意味悪夢だと思う。


あと親の調子が良くなく、来週末に急遽帰省することになった。その後一旦東京に戻り、GWにまた帰る。
思い返せばGWに帰ったことってない気がする。

年末年始の雑記


冬寒すぎる。

年末年始に帰省したけど沖縄もめちゃくちゃ暖かいというわけではない。風が強いので体感温度が低くなる(自分は長袖インナー+長袖シャツ+MA-1にジーンズで過ごして、もうちょい厚着すればよかったと思った)。私が強めの寒がりかつ動かなすぎるからというのもあると思うが、観光で沖縄行くなら冬は勧めない。とはいえ今年は20度あって暖かいほうだった。
職場の人に「沖縄の人は冬でもダウン着ないでしょ?」とよく聞かれるのだが普通に着ている人はいる。なぜならこれが沖縄県民にとっての冬だから・・・
いちばん寒い1月中旬で最低気温8度くらいです。

でもさ寒い地方のニュース見てると同じ人間が生きている環境とは思えん。雪が降る地方に住む人本当にすごいと思う。たまたま生まれ落ちた場所で個人のメンタリティ語るのも語られるのも大嫌いだが、毎年冬になるとあまりの環境差にびっくりしてしまう。
国内を旅行して、自分の地元が異質であるということが理解できるようになってきた。

正月休みはとにかくダラダラしていた。
親戚の家に行ったら、結婚式を挙げたいとこが動画を見せてくれた。
それから生前の祖父の動画もいろいろ見せてくれた。脳トレをする祖父、玄関前でリハビリの体操をする祖父、いちご狩りでいちごを爆食べする祖父。まめに撮ってたんだなと感心した。
と同時に「やっぱり家庭を持つの嫌だな」と純粋に思った。

冬なので何もかもだるいモードに突入している。こないだ電気毛布を買って、重い毛布2枚を粗大ごみに出した。かなりすっきり。
もっといろいろ捨てて部屋を広くしたい。しばらくはこれを目標にして生活していきます。