いろいろ思うことがある

沖縄県

7月半ばの金土日で実家に帰った。
金曜夜に那覇空港に着き、日曜朝に発ったので実質1日間というスケジュールだった。わざとそうしたのだ。


3日間ずっと天気がよくて、それがかえって閉塞感を加速させるようだった。

沖縄県は二重人格者みたいだ。きれいな海がある。そのすぐ横で米軍基地や日本政府に対する市民運動が行われている。ゆるやかな雰囲気だ。貧困率が全国トップである。
どこにも負けない美点があるのと同時に、容易にはとても解決できはしない問題が露悪してしまっている。


沖縄県に関連するニュースを耳にするたびに、そしてそれらがたいていネガティヴなものであるほどに、怒りや悲しみよりも先に諦めがきてしまう。日本政府には露骨に厄介者扱いされ、県出身者以外には「観光強いし、政府から経済的に優遇してもらっているんだからいいだろう」と言われても、「こんな扱いされてもしかたないよな、沖縄県だし」と思ってしまう。

もう結構ギリギリだということに気付いているのに、私は無視してしまう。
私はこうして沖縄県に見切りをつけ、東京都に見切りをつけ、日本国に見切りをつけていってしまうのだろうか?そうなる前に思い直させてほしい。

 

両親のことは好きだ。でも意見が対立することもある。
今回、障害者や転職に対する見解がことごとく異なり、自分にとって親の考えはあり得なかったのでめちゃくちゃ反論してしまった。

でも親はなんら変わってはいない。昔からこんな意見だったということを私は知っている。今までは「あり得ねーだろマジか」と思っても、反論するだけ馬鹿らしくなるからとスルーできていたのに、今回はどうしても許せなくて言い返した。私が変わってしまったのだ。

時代に取り残されていく親を見るのはつらい。 

 

 

こうやって帰省を振り返ると、全体的に後ろ暗い感じがしてやだなと思う。でも毎回こうなのだ。つらくなってしまって長くはいられないから、帰省に何日も使えない。
沖縄県に対しては「無視してしまう」、でも親には「スルーできずに反論してしまう」という私の矛盾した態度にも問題がある。


私の故郷はひとつだけ、でも心はふたつの場所にある。上京したときに引き裂かれてしまったのだ。地元を離れて暮らす人はみな似たような思いを抱えているのかもしれない。

 

 

部署異動

 

というわけで丸4年所属した部署から離れることになった。

 

予兆

全然なかったよ!
なぜなら今までいた部署は私が一番年下、勤務年数も下から2番目だったし、この部署は10年選手になるまで居座らされることで有名だったからだ。
役員が変わってローテーションの方針も様変わりしたようだ。

 

反応

昼食後、課長に部署裏の作業部屋に呼び出された。
前日休んだので怒られんのかな・・・と恐る恐る行ったら異動の知らせだった。
無表情で「はい」とクールに一言だけ返事したけど、その後は鼓動がずっとバクバクしていた。

このタイミングで話があったことは結構ラッキーだと思っている。業務で気が滅入ることが多かったからな。運が良くて、なりたくてなった職業なのに、仕事がいまだにうまく流せないよとか、事務屋ぜんぜん向いてないよとか、毎日考えていた。
こんな捉え方をしてはきっと叱られるんだろうが、気分転換の作用があった。

異動のお知らせは職場でバズりやすいニュースなので、みんな声かけてくれた。そのほとんどが「若手のうちにいろんな業務やってみたほうがいいよ」という前向きな言葉だったのでありがたかった。あとはまあ変な話、みんな私のこと認識してくれていてすごいと思った。それなりにしごとしてたのかな。そういうことではないか。

異動先の人も歓迎してくれた。

 

異動

発表が22日、着任が翌月4日だった。
実質10日間で新しい人に引き継ぎと自分の新しい業務の引き継ぎと片付けのすべてができるわけないから、とりあえず申し訳程度のマニュアルを作成して、あとは片付けだけやった。片付けというのは書類をシュレッダーにかけることを指す。

段ボール2箱と紙袋1枚、2往復だけですべての荷物を運び終えた。やってみるとあっけないものだ。

 

辞令

呼ばれたら返事して、真ん中を通って役員に一礼、辞令を受け取って一礼、一歩下がってまた一礼、外回りで席に戻る。

 

着任

法人部署からいわゆる現場と呼ばれる部署に配属されたのでぜんぜん違う世界だ。カルチャーショックのようなものを感じる。

さっき書いた「気分転換」は、当たり前だが今だけのことで、根本的な意識の問題は異動したことそれだけでは解消されない。

異動先では私がまだ仕事がヘタだということがバレていないようだ。あはは!

 

あははじゃあないんだよ。がんばれよ。

 

 

五月病


5月下旬に入ってなんかそんな状態になって、まあ症状を57577に整えられるくらいの余裕がある程度のものなんだけど、しんどかった。

1.要因

  • 上司からの前年度フィードバックの評価が今回も低かった

この時期に限らず職場にいる毎分毎秒「仕事ができない」と思いながら仕事してるんだけど、5月に前年度フィードバック面談があることで仕事できなさ度合が可視化されるので落ち込まざるを得ない。5段階評価で3未満、人並み以下。
毎年落ち込むくらいなら質を向上させる努力をするか、怒られても平気な図太いメンタルを手に入れるかどっちかにしないと。仕事するにあたって肝心なものが自分にはまだ備わってない。まだ?5年目になって備わらなかったらいつ備わるんですか???

このほかにもなんか要因あんだろと思って書き始めたんだけど思い当たるものが見つからなかった。私生活は相変わらずのん気なもので、進みもしないが後退もしない。

 

2.症状

前述の短歌に加え、

  • 習慣化していたものが続けられなくなった

自分の場合はストレッチと筋トレ、湯船に浸かること。
気分が沈んでいるときでも、習慣だけは習慣として続けていかないと、やめてしまったことで余計な落ち込みがプラスされて悪化するので気を付けよう。わかってはいるんだけど、気づいたときにはもうできなくなってるんだよな~。

  • 睡眠の質が落ちる

ソファでぼーっとして朝方4時頃までなにもできず過ごして、化粧も落とせず寝落ち、2~4時間眠ってすぐ目が覚める。平日休日関係なかった。

 

  • 写真撮りまくる


意味わからんけどなんにでもいたく感動してカメラロールの写真がなんでもないもので溢れていく。脳がポエミーになっている。これはまだ治まらなくて恥ずかしいからやめたい。

 

3.回復まで

 


5月末に友人たちとひたすらだべってたら急速に回復に向かったわけだけど、普段人と会って話すのが苦手な自分にとっては正直想定外だった。
このスナックでは、スーパーで買った出来合いの総菜と冷凍食品の適当なものを食べて、話すのもそこそこに延々カラオケやってたので、それが本当に気楽でよかったのだと思う。

 

4.要因は除去できるか
正直難しい!!!!!!

 

 五月病、一時的な気分の落ち込みなのでそんなに深刻にみる必要なさそうなんだけど、毎年罹るのは滑稽なので傾向と対策を記録して来年に備えたい。

エリック・カール展 - 世田谷美術館 

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※今の状況=預金残高5,000円

 

幼少期に出会った絵本で今でも好きなのは、トミー・アンゲラー『すてきな三にんぐみ』、アネット・チゾンとタラス・テイラー『おばけのバーバパパ』、そしてエリック・カールはらぺこあおむし』の3冊。

とりわけエリック・カールの絵の色使いがとても好きで、まあ好きなだけで技法なんかまったくわかっちゃいなかったんだけど、絵を待ち受けにしたりなにかのアイコンに使用したりといろいろお世話になっていた。

 

そんで本展ですが、原画多いしダミーブック(絵本の習作、修正を重ねたダミーブックを何冊も作成しながら仕上げていく)も展示されてるし、彼の生い立ちも、初期~2017年現在の作品の変遷もよくわかる。


きらびやかな芸術や生活が禁じられたナチス政権下のドイツでの少年時代、カールの画力を認めた学校の先生がサポートしてくれて、アンリ・マティスなどの色彩あざやかな絵画をこっそり見せてくれたこと、その衝撃が今までの作品にすべて落とし込まれている。

上記の思い出が『えを かく かく かく』という絵本(2011年)に特に強くあらわれており、赤いワニや緑のライオン、黒いシロクマなどが出てきて、自由な発想で絵を描いていいんだよ、というメッセージが込められている。
あとがきに「あのとき出会った色彩が、ぼくとともに生き続けてきた」の言葉。少年期に受けた衝撃って人生にずっと残る。
しかし12歳のときの思い出が、82歳になっても色褪せることなく、しかも形にできるというのは…、当時の抑圧された生活が色彩への渇望にまっすぐ繋がったのか。唯一無二の色使いは、かなしい社会背景を糧にして生まれたのだな、となんとなくせつなかった。

 

絵本で特筆すべきはエンドペイパー(表紙裏)。これは図録。

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ここ、作品毎に手作りで模様を描いているんだって。はじめはどんな物語か想像を駆り立てさせ、おわりは余韻を感じさせるようなものにしている。そういえば小さいとき、ここ眺めるの好きだった。

ていうか美術館で図録というものを初めて買ったんだけど、すばらしいですね、展示作品をすべて見直せるのはもちろん、詳細解説文もあるし。買ってよかった。

展示中の解説文は、子どもが訪れることを想定してか(実際に小さいお子さんがいらっしゃっていた)やさしい文体だった。

 

物販コーナー、マグネットとレターセット。

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この人魚の絵がいちばん好きだな。
これでまた残金が減ったねって?そうだね。

 

世田谷美術館は用賀駅から20分弱くらい、砧公園の中にある。
途中はプロムナードになっていて、ぼんやり歩くにはいい感じだった。

ミュシャ展 - 国立新美術館

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去年から絶対に行くと決めていて、でも始まってから毎日混んでる情報が流れてくるのでタイミングがわからずもじもじしていた。やっと行く気分になったので行ってきた。

 

スラヴ叙事詩全て展示ののち本編、Ⅰ~Ⅳ章の構成。

スラヴ叙事詩

スラヴ叙事詩についてなんにも知らなくて、おー大きい絵だなードーンとしてるわーなんて漫然と見てたらどうやらそのドーンは×20あるらしいぜとなり、腹決めてしっかり観ることにした。
彼の故郷であるチェコの歴史・神話をベースに、異民族の侵略、教会の権威の失墜、カリスマ的指導者の存在、たび重なる宗教戦争から、最終的にスラヴ民族が独立するまでの経緯が描かれている。

作品のいくつかにはこちら(鑑賞者)側を見ている人物がいて、それはたいてい少年。
たとえば『フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー』という、チェコ国王イジーが請求し、叶えられるはずだった友好協定が教会によって一方的に無効にされ、イジーが憤怒する場面を描いた作品がある。この絵の前方に少年がいて、「ローマの終焉」というタイトルの本を持ってこちらを見ている。
この事件以降、教会の権威は堕ち、チェコ(スラヴ民族)の団結が加速するわけで、ここでの少年はストーリーテラー的な役割をしているのかなと。

全体的に訴える力を強く感じた。あとはとても大きい。大きい絵はそれだけでずしんとくる何かがあり、鑑賞者はただ圧倒されてしまうというか、宗教心を高める一つの方法なんかなと思う。

 

本編Ⅰ~Ⅳ、商業的成功

本編、ミュシャの作風はもう完成された状態から始まっていた。プラハの絵画学校(?)に入れなかったり、勤めていた工場が破産したり、パトロンが途中で資金援助を打ち切ったりと、最初はなかなかハードな生活だったようだけど、当時の作品がどのようなものだったかはわからない。

そんでサラ・ベルナールという大女優が出る劇のポスターを請け負ってからブレイク。ここからはもう我々の知っているミュシャの絵だった。
四つの花」「四芸術」とかめっちゃよくて、ああ…美しい…って感じだったのに、一回チェコに帰ってよし!スラヴ叙事詩描くぞ!って決めて(?)戻ってきたあとに描かれた『ヒヤシンス姫』はもう更にすばらしくて、何がって美しさだけではなくて、内面の強い意志が瞳や表情に如実に表れてる。民族の団結、は彼のほとんどの作品に込められたテーマだけど、特に強く意識されているような気がした。

とても人気だったらしくて、以降は建物、切手、装飾品、警察官の制服のデザインなんかも引き受けていたらしい。

 

ミュシャ自身

作品を通して訴えたかったこと、「暴力に暴力で対抗しない」「芸術を忘れない」かなと思った。
ただ自身の性格は謎で、スラヴ叙事詩という超大作を20作も描き続けられること、その内容は一貫して民族団結・調和を訴えるものであること、その他の作品は知られている通り細部まで美しく、繊細で、唯一無二のデザインであること、これらを産み出せる人間っていったいどんな奴なんだ、という疑問は残った。
最後にミュシャを写した写真が展示されてるんだけど、柔和で聡いというか、きれいな顔をしていた。君子かな?

 

だいたい所要時間1時間くらい、13時半に行ってそんなに並ばずチケット買えた。

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ポストカード、と

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マグネット買った。 

  

近況

相変わらず元気

むしろ去年よりメンタル強くなった気がする。
おそらく恋人と別れたことが一番大きな要因で、そこから趣味に没頭してたらいつの間にか強い人間になっていた。
あとは人の目をそんなに気にしなくなった。これは単純に年を取ったら得られるスキルだと思う。
 

Twitterをまた始めた

2年振りにまたやっている。学習能力がない。
でも快適さんとお会いしたときにまた始めたらええやんと言われたのが嬉しくてその場でアカウント登録したので、私はこんな風に誰かに背中を押されるのをずっと待っていたんだろう。
たまに気分が悪くなるときもあるけど、基本的には精神的に良い方向に作用している気がする。
2年前とは違って鍵をかけない、ネガティブなことも言う、時事ネタを無視しない、などの意識でやっていく。そのほうが楽になれる。

物を捨てる

自分にしてはかなり思い切った感じで物を捨てている。
服はいらないのがある程度の量になったらまとめてZOZOTOWNに送っている。安物ばかりなので金にはならない(10着で200円とか)。でも処分するのが目的だから別にいい。
それからオーディオを処分したら空白ができたので、3年間放置してた本棚を整理した。割とおさまった。そんなに本買わない人間なんだなということが分かった。
いらない漫画や雑誌もブックオフに売った。これも1冊10円で取引。そもそもなんで金がもらえるんだろう。ありがたいよな。
こんな感じでだいぶすっきりした部屋になった。ゆくゆくはソファとローテーブルも処分したい。 

 

遠出をする

趣味友に情報を教えてもらって一緒に行っている、という感じだが。
ダム、工場、庭園など。
遠出するときは移動中も楽しい。ずーっとぼけっとしている。一生車や電車に揺られていたい。窓から見える景色を眺めながらゆっくり死んでゆきたい。

死、で思い出したけど、理想の死後は沖縄県の墓にいることだと昔から言ってきたんだけど、たぶんそれ無理だ。
それは墓を管理してくれる親戚や子孫がいるんかとか、自分自身沖縄県にいつ帰るかもわからんよとか、もし沖縄県民以外の人と結婚したらどうすんのなどの懸念の存在に因る。
それならそれでまあ仕方ない。死後に自分の意識が残らないことを祈るしかない。

話それたけど、遠出は楽しい。目を上げればいろんな場所にいろんなトピックがある。それを知れてよかった。

 

近頃はこんな感じ。

観に行った展示たち、2

後半、6月以降のもの。

 

  1. VOLEZ VOGUEZ VOYAGEZ 旅するルイ・ヴィトン
    紀尾井町特設会場、6/4

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    これは素晴らしい展示だった、まず無料である。
    トランクがメインの展示物で、その一つ一つの見せ方が非常に凝っていた。展示するからというのもあるんだろうが、元々のルイ・ヴィトンの仕事ぶりが非常に凝ったものだったんだと思うし、そう思わざるを得なかった。
    アイテムを使用する人の生活やその空間にぴったりと沿うような、しかしルイ・ヴィトンであるという強い雰囲気を持ったアイテムばかりだった。
    それは他のデザイナーとコラボレーションしても変わらず、むしろルイ・ヴィトンの存在感をますます強めるようだった。

  2. 村上春樹イラストレーター ちひろ美術館・東京、6/11

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    ちひろ美術館はじめて。
    絵の下に棚があり、そこに実際の挿絵がなされた本が置いてあった。
    イラストレーターと村上春樹の本に、同時に興味が持てるような展示だった。美術館の雰囲気も非常にやわらかくてやさしい。
    安西水丸和田誠、ワイルドでいいなあ。

  3. 鏡の魔力/若き日の雪舟 根津美術館、6/25
    ここもはじめて。
    鏡、古代のまじないや祈りの意味が強く込められた時代のもの。
    子孫繁栄、息災?を願うとき、それぞれのモチーフが出てきて興味深かった。葡萄とか、なんだかわからない獣とか。
    雪舟は…、あれだな、本人の絵だよって言われてから見るから本人のものだと思うだけで、実際何も知らずに見たとしたら、同一人物だと確証がもてるまで時間がかかるかしら。若い時の雪舟の絵も、あんま変わらないなって思ったけど。
    水墨画だから難しいかもしれないな。

  4. 大妖怪展 江戸東京博物館、7/18
    ほぼ何も観てない。ごめんと言うしかない。
    人でごった返した美術館、最近容赦なくすっ飛ばしてしまうので、あんまり意味がない。日時をよく考えるのと、+なにか対処が必要だと思うんだけど答えがまだ出ない。きっと心構えのようなものなんだろうが。

  5. ルノワール展 国立新美術館、7/24

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    混んでた。
    この絵、非常に大きい。大きい絵の前にじっと立っていると神聖な気分になってくる。宗教画が盛んな地域だからそういう狙いもあんのかな?
    子どもの絵が多かった。ほっぺさわりたいな。子どもに限らず女性たちも肌が白く、ふくよかで、柔和な目つきをしていた。

  6. ポンピドゥー・センター傑作展 東京都美術館、8/6
    1年1作家1作品、という縛りでの展示は結構新しいのでは。1906-1977の71年間で作家が一人もかぶらないのはすごい。
    ル・コルビュジェが絵も描いていたとは。しかも独特な、うまい絵。
    かなりサクサク観れた。

  7. 木々との対話―再生をめぐる5つの風景 日付同上

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    これ木を削ってつくってんのよ。すごいねえ。
    正直なところ彼らが木を使って何を表現したかったのか自分にはあまり理解できず…。

  8. d design travel 愛知展 渋谷ヒカリエ d47 MUSIUM、8/4

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    愛知定食。
    これ毎号発行のたびに開催しているようだ。また行きたい。


    以上。
    2016年に入って合計19の展示を観に行った。
    今後はもうすこし展示を観に行く意味と目的を考えていきたい。なんだか今のままでは観たものが血肉となって残らないような気がしている。