これ以上迷惑かけない

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ぜ…………全員………………………優勝!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

今週はラブリーサマーちゃんと後藤真希のアルバムを交互に延々と聞いている。

 

ところで2017年12月は乃木坂46松村沙友理さんの月と言っても過言ではなかったですね、FNS歌謡祭のハレ晴レユカイみくるちゃんコス、ファーストソロ写真集発売、CanCamソロ表紙。 

松村沙友理さんへ。かわいいを続けてくれてありがとう。

CanCam買ったら2018年松村沙友理さんカレンダーがついてて、これでまた1年がんばって生き抜きたいと思います。2017年もプーチン大統領カレンダーがあったから生きてこれたわけだしカレンダーの存在意義は強い。

 

ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 - 東京都美術館、11/28

上野で同時開催している北斎ジャポニズム展と合わせて観ると、シンクロを感じられる。

 

ゴッホは日本に行くことのないまま生涯を終えたけど、日本のことが書かれた文献や浮世絵を収集することで日本への想いを募らせていたらしい。しかしゴッホが生きた当時の実際の日本では明治維新が起こり、憲法が制定されたときだったから、彼のイメージとはだいぶ乖離していたかもしれない。
明るい日本のイメージに基づいて、明るい雰囲気の南仏で描かれた絵は色調が明るい。精神的に安定してる様子がわかって、よかったねえと思うんだけど、このあとの彼の人生の行き先を思うと少しかなしい。

 

浮世絵を模写したものがたくさん出てくる。ただ写しとるのではなくて、気に入った日本的モチーフを並べてみたり、いつもの油絵の背景にしのばせてみたり。浮世絵が西洋文化に混ざり合っていく感覚はざらついているが、変に癖になる。違和感があるけど、不快ではない。

 

北斎ジャポニズム展と同様、この展示も見本となったであろう浮世絵のあとに、ゴッホの作品が飾られている。並べて観ると、ゴッホがいかに浮世絵から多くのことを学んで、その技術を自分のものにしていったか、の過程を知ることができる。

例えば目線の高さ。街の風景を描くとき、浮世絵師は少し高いところから街を見下ろすように描く。そうすることで画に奥行きが出てくる。ゴッホもそれを意識したのか、街の風景に限らず、例えば道端に咲いてる花とかなんでも、とりあえずしばらくは目線を高いところに設定して描いている。
彼のイメージする「日本」の雰囲気を作品として可視化できるようになるまで、そういう細かな表現方法に注目し、素直に取り入れていくさまを観れてよかった。

 

この展示の特筆すべきところは、ゴッホの絵に魅了された日本人が、彼を看取った医師ゴッシェのもとを訪ねていった、その交流の様子を紹介しているところだと思う。ゴッシェを訪ねた日本人の名前が記録されている芳名帳や、ゴッホへの想いが書かれた手紙など、保存状態がかなりいいままで残っている。
前田寛治という画家がゴッホの墓参りに行って、「自分はゴッホの狂気に取り憑かれて、元に戻れなくなってしまいそうだ」と言いながら墓前に咲いていた赤い花を摘んで、それを自作の油絵の中に塗り込んだ、というエピソードがあって、なんか日本人らしい狂気の表現でいいなと思った。

 

あと気になったのは額縁かなあ。なんかやたら立派。小さい絵にもゴテゴテの額縁がつけられていたりして、これはどのタイミングではめ込まれるものなんだろうかと不思議に思った。作成完了時に画家自身が選ぶものなのか、絵の社会的評価がなされたあとにしかるべき第三者が選ぶものなのか…。
『蝶の舞う庭の片隅』の額縁が絵の内容とマッチしていて好きだった。

 

物販コーナーの気合がすごくて、ゴッホ美術館のグッズとかもあった。ルービックキューブはそれ。
ポストカードにある『花咲くアーモンドの木の枝』は展示されていない。これ生で一目観たいと思ってるのだが、なかなか出会えないな…。

 

うーん鑑賞から日が経つと、メモで感想を書き留めていてもそれをブログでまとめようとする熱がどうしても薄まってしまう。 鑑賞とその記録は趣味でやっていることだから、どうせやるなら精度を上げていきたい。

 

北斎とジャポニスム - 国立西洋美術館

hokusai-japonisme.jp

国立西洋美術館、ふだん浮世絵しか観ない人間なのであんまり入ったことなかった。

 

浮世絵が西洋に渡ったのは、美術品を輸出するときに緩衝材や包み紙として使用されてたからなんだけど、それが西洋画家たちの目に留まって西洋画に新しい風を吹かせるまでに影響を与えたのですごいね、みたいな話。
中でも葛飾北斎の画がとりわけ作品も多く、かつそのクオリティもすばらしかったので、収集されまくったらしい。

 

展示、基本的に北斎の画+それを基に描かれた西洋画、の並びで見比べやすかった。
おもしろいなと思ったのは、元の画そっくりに描いても画材が違うので"洋物"とすぐわかるところ。キャンバスにインクとか油彩で描くと、おーそうなるんだな、という感じ。なんというかバージョン違いみたいな?まんまだね。

日本的なモチーフ(北斎漫画にある、動物や草花や着物を着ている人間など)をそのまま食器や花瓶の装飾に用いてるものもあって、そこらへんの彩色とか彫刻とか、立体的にアレンジする技術はさすがだった。
絵画では、たとえば布袋様が座ってリラックスしてる様子を少女に、相撲取りをバレリーナになど、対象を置き換えることで、浮世絵の技術を西洋画に違和感なく取り込んでいく工夫が見れた。

 

いちばんいいなーと思ったのは風景画。
それまでの西洋画は構図がガチガチにしばられていて、奥行きを出すことを念頭に置いてるから、対象物が手前で、その奥に山が連なってる、などどうしても構図はそのままで、ものの配置だけを変えるだけでしかバリエーションを出せなかったらしいんだけど
みどころ | 北斎とジャポニスム 
これのピサロを見てほしい。
えっ木をど真ん中に置いてもいいんだって感じじゃないですか?当時かなり衝撃があっただろうと思うんだけどどうなんでしょう。
「視界にあるものを、見たまま描く」というのは結構むずかしいことで、たとえば自分が花の写真を撮るとしたら、ぜったい向きを調整したりいい感じの光のとこまで持っていったりすると思う。
この木も絵にするんだったら省略してもいいところを、そうしないおおらかさ、みたいな浮世絵マインドが受け入れられたということなんだろう。

関連して、こういう手前に木とか橋を持ってくる手法は歌川広重もやっている。
東都名所 両国之宵月
上記の北斎と同じ時期の画。

 


いや最高よ。ほんとありがとう。音声ガイド買い取りたいぐらいだったわよ。
音声ガイドは解説にない小噺とか豆知識もあってよかったんだけど、さっさか観るタイプの人間にはちょっともどかしいところもあり…。つかそれ以前に耳が性感帯なので自分は付けたいと思ってももう無理かも。何言ってんの?

 


マグネットとチケットホルダーです。チケットホルダー買いすぎじゃない?もう4枚ぐらいあるよ大丈夫?チケットホルダーってどうやって使うの?

 

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秋晴れだね~

 

月岡芳年 妖怪百物語展・月百姿展 - 太田記念美術館 / お墓参り - 専福寺 

 

二か月連続特集。浮世絵師の中でいちばん好き…。迷わず行ってきた。
過去の展示でも鑑賞したことのある画がいくつかあったんだけど、何度観てもいいな…となる。
構図と色彩と刷りの技術がとにかくすばらしい。

妖怪百物語

イメージ的には「きゃりーぱみゅぱみゅのステージにいそう」と言えば伝わりやすいだろうか。

月岡芳年: 「和漢百物語」「貪欲ノ婆々」 - 演劇博物館デジタル - 浮世絵検索

かわいらしい。ほかにも屈強そうな武士を目にして自信をなくしているような鬼や、七福神を追い込んで余裕の表情を見せる貧窮神など、くすっと笑えるようなものが多かった。

鑑賞日当日は本調子でなかったらしく眠気がはんぱなくて、途中で2回ベンチ休憩をはさむことに…。 鑑賞行為は案外体力を使うのかもしれない。

 

月百姿

名の通りほんとに百枚ぴったりあり、すべて展示されていた。

月岡芳年: 「月百姿」 「嫦娥奔月」 - 東京都立図書館 - 浮世絵検索

個人的に好きな一枚。不老不死の薬を手に入れた嫦娥が、桃色の月を背に雲に乗って逃げていく様子。幻想的な構図と色彩。は~素晴らしい…。
このシリーズは晩年近く(明治時代突入済み)に制作されたため、芳年自身の絵画技術も最高点、また版元も当時最新の摺りの技術を施すという最高&最高の状態なのだった。江戸時代のイケイケな浮世絵とはまた異なる印象を受けた。まるで毛筆で描いたかのような繊細さ。

 

月百姿展の鑑賞後、銀座にて同展示の解説講座。レジュメが書き込みで真っ黒になった。普段からこんな風に熱心でいろよと思ったりもするが、いやあ好きなことしか学ぶ気おきないよね。

 

専福寺

そんで一夜明けて、芳年が眠るお墓まで散歩。東新宿にある(買った図録に書いてあった)。

猫が多くて、無類の猫好きである師匠の歌川国芳のことをちょっと思い出すなど。

 

そんなわけでどっぷり月岡芳年に浸かった二日間だった。
しあわせ。

 

いろいろ思うことがある

沖縄県

7月半ばの金土日で実家に帰った。
金曜夜に那覇空港に着き、日曜朝に発ったので実質1日間というスケジュールだった。わざとそうしたのだ。


3日間ずっと天気がよくて、それがかえって閉塞感を加速させるようだった。

沖縄県は二重人格者みたいだ。きれいな海がある。そのすぐ横で米軍基地や日本政府に対する市民運動が行われている。ゆるやかな雰囲気だ。貧困率が全国トップである。
どこにも負けない美点があるのと同時に、容易にはとても解決できはしない問題が露悪してしまっている。


沖縄県に関連するニュースを耳にするたびに、そしてそれらがたいていネガティヴなものであるほどに、怒りや悲しみよりも先に諦めがきてしまう。日本政府には露骨に厄介者扱いされ、県出身者以外には「観光強いし、政府から経済的に優遇してもらっているんだからいいだろう」と言われても、「こんな扱いされてもしかたないよな、沖縄県だし」と思ってしまう。

もう結構ギリギリだということに気付いているのに、私は無視してしまう。
私はこうして沖縄県に見切りをつけ、東京都に見切りをつけ、日本国に見切りをつけていってしまうのだろうか?そうなる前に思い直させてほしい。

 

両親のことは好きだ。でも意見が対立することもある。
今回、障害者や転職に対する見解がことごとく異なり、自分にとって親の考えはあり得なかったのでめちゃくちゃ反論してしまった。

でも親はなんら変わってはいない。昔からこんな意見だったということを私は知っている。今までは「あり得ねーだろマジか」と思っても、反論するだけ馬鹿らしくなるからとスルーできていたのに、今回はどうしても許せなくて言い返した。私が変わってしまったのだ。

時代に取り残されていく親を見るのはつらい。 

 

 

こうやって帰省を振り返ると、全体的に後ろ暗い感じがしてやだなと思う。でも毎回こうなのだ。つらくなってしまって長くはいられないから、帰省に何日も使えない。
沖縄県に対しては「無視してしまう」、でも親には「スルーできずに反論してしまう」という私の矛盾した態度にも問題がある。


私の故郷はひとつだけ、でも心はふたつの場所にある。上京したときに引き裂かれてしまったのだ。地元を離れて暮らす人はみな似たような思いを抱えているのかもしれない。

 

 

部署異動

 

というわけで丸4年所属した部署から離れることになった。

 

予兆

全然なかったよ!
なぜなら今までいた部署は私が一番年下、勤務年数も下から2番目だったし、この部署は10年選手になるまで居座らされることで有名だったからだ。
役員が変わってローテーションの方針も様変わりしたようだ。

 

反応

昼食後、課長に部署裏の作業部屋に呼び出された。
前日休んだので怒られんのかな・・・と恐る恐る行ったら異動の知らせだった。
無表情で「はい」とクールに一言だけ返事したけど、その後は鼓動がずっとバクバクしていた。

このタイミングで話があったことは結構ラッキーだと思っている。業務で気が滅入ることが多かったからな。運が良くて、なりたくてなった職業なのに、仕事がいまだにうまく流せないよとか、事務屋ぜんぜん向いてないよとか、毎日考えていた。
こんな捉え方をしてはきっと叱られるんだろうが、気分転換の作用があった。

異動のお知らせは職場でバズりやすいニュースなので、みんな声かけてくれた。そのほとんどが「若手のうちにいろんな業務やってみたほうがいいよ」という前向きな言葉だったのでありがたかった。あとはまあ変な話、みんな私のこと認識してくれていてすごいと思った。それなりにしごとしてたのかな。そういうことではないか。

異動先の人も歓迎してくれた。

 

異動

発表が22日、着任が翌月4日だった。
実質10日間で新しい人に引き継ぎと自分の新しい業務の引き継ぎと片付けのすべてができるわけないから、とりあえず申し訳程度のマニュアルを作成して、あとは片付けだけやった。片付けというのは書類をシュレッダーにかけることを指す。

段ボール2箱と紙袋1枚、2往復だけですべての荷物を運び終えた。やってみるとあっけないものだ。

 

辞令

呼ばれたら返事して、真ん中を通って役員に一礼、辞令を受け取って一礼、一歩下がってまた一礼、外回りで席に戻る。

 

着任

法人部署からいわゆる現場と呼ばれる部署に配属されたのでぜんぜん違う世界だ。カルチャーショックのようなものを感じる。

さっき書いた「気分転換」は、当たり前だが今だけのことで、根本的な意識の問題は異動したことそれだけでは解消されない。

異動先では私がまだ仕事がヘタだということがバレていないようだ。あはは!

 

あははじゃあないんだよ。がんばれよ。

 

 

五月病


5月下旬に入ってなんかそんな状態になって、まあ症状を57577に整えられるくらいの余裕がある程度のものなんだけど、しんどかった。

1.要因

  • 上司からの前年度フィードバックの評価が今回も低かった

この時期に限らず職場にいる毎分毎秒「仕事ができない」と思いながら仕事してるんだけど、5月に前年度フィードバック面談があることで仕事できなさ度合が可視化されるので落ち込まざるを得ない。5段階評価で3未満、人並み以下。
毎年落ち込むくらいなら質を向上させる努力をするか、怒られても平気な図太いメンタルを手に入れるかどっちかにしないと。仕事するにあたって肝心なものが自分にはまだ備わってない。まだ?5年目になって備わらなかったらいつ備わるんですか???

このほかにもなんか要因あんだろと思って書き始めたんだけど思い当たるものが見つからなかった。私生活は相変わらずのん気なもので、進みもしないが後退もしない。

 

2.症状

前述の短歌に加え、

  • 習慣化していたものが続けられなくなった

自分の場合はストレッチと筋トレ、湯船に浸かること。
気分が沈んでいるときでも、習慣だけは習慣として続けていかないと、やめてしまったことで余計な落ち込みがプラスされて悪化するので気を付けよう。わかってはいるんだけど、気づいたときにはもうできなくなってるんだよな~。

  • 睡眠の質が落ちる

ソファでぼーっとして朝方4時頃までなにもできず過ごして、化粧も落とせず寝落ち、2~4時間眠ってすぐ目が覚める。平日休日関係なかった。

 

  • 写真撮りまくる


意味わからんけどなんにでもいたく感動してカメラロールの写真がなんでもないもので溢れていく。脳がポエミーになっている。これはまだ治まらなくて恥ずかしいからやめたい。

 

3.回復まで

 


5月末に友人たちとひたすらだべってたら急速に回復に向かったわけだけど、普段人と会って話すのが苦手な自分にとっては正直想定外だった。
このスナックでは、スーパーで買った出来合いの総菜と冷凍食品の適当なものを食べて、話すのもそこそこに延々カラオケやってたので、それが本当に気楽でよかったのだと思う。

 

4.要因は除去できるか
正直難しい!!!!!!

 

 五月病、一時的な気分の落ち込みなのでそんなに深刻にみる必要なさそうなんだけど、毎年罹るのは滑稽なので傾向と対策を記録して来年に備えたい。