備忘録・「滝山コミューン一九七四」 ― 民主主義の面から

原武史の「滝山コミューン一九七四」を読みました

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

表紙がいいなあと思った。


郊外の団地から通う小学生がほとんどの割合を占める小学校で、児童自らが活動の中心となるような、自由で民主的な教育を目指す取り組みが行われた。

しかし、日教組会員の教師によるその「民主的な教育」の実態は、「みんな」「なかま」という言葉をスローガンとし、それを重視した結果として、集団から外れる者を徹底的に攻撃し、強制的にでも児童を均質化しようとするものであった。


その活動の基礎となったのが「班」を一単位とする思考である。
班同士で競争をさせることで学級内での順位を明らかにし、「弱い」班は他班から糾弾される(そうすることで目を学級に向けさせるのが狙い)。
個人の自由は、集団の利益の前に拒絶される、という思考。


この取り組みは今では誰からも賛同されないんだろう。1970年代という、革新派が勢力を伸ばした時代だからこそ産まれた取り組み。
そして郊外、団地という周囲から孤立した立地が、この独自の民主主義に基づいた独裁国家(本書ではこれを滝山コミューンと呼ぶ)を形成する大きな要素になり、追い風になってしまった。



ここで「民主的な集団」を目指しているのに、なぜ序列を付けなければならないのか、という疑問が浮かぶが、作者は当時の資料からこう分析する。

権威主義をはらんだ教育行為が、民主主義に対する一面的な理解のもとに行われた」
つまり、教師が掲げる「民主主義」に対する忠誠度によって児童に順位を付ける行為が存在していた、ということ。




この本では滝山コミューン内で通っていた思想を「独自の民主主義」と呼んでいる。
じゃ、本当の意味の民主主義ってなんだろう。


辞典では
「人民が権力を所有し、自らのためにその権力を行使する政治形態」
とある。


滝山コミューンにおいて指摘できるのは、
①「民主主義」が教師によって訓練された
→本来、民主主義は上からの押し付けによってなされるものではない
②その「民主主義」は「単一の意志・ちからを持った単一の集団によるもの」によってしか実践できないものとされた
→参加型民主主義、という選択肢を含んでおらず、そぐわない者が疎外される恐れがある
という二点。


舞台が小学校だったという背景を考えると、①に関しては酌量余地があるのかなぁと思う。
ただそこで、児童の元来の思想を否定する可能性を鑑みなかったのではないか。本来最も尊重するべきであるはずの児童の性格や考えを置き去りにして、教師が突っ走ってしまった面が本書から少なからず読み取れる。
②に関しては、班競争という訓練方法が適切ではなかった、ということが言えるだろう。全員が平等の立ち位置にいることを目的とするのであれば、そうなるように全員が画一的であるような教育行為を受けさせるのは適切な行為ではないし、順位を付けるのは更に矛盾している。



個人自由主義的な立ち位置から批判するとこうなるのかなぁ。まだよくわからん。
今のところ、初等義務教育においては多少なりとも教師による統制は必要なんだけど、方法が悪かったんじゃないかな、という結論です。


とにもかくにも一面的な理解というのは怖い。自身の理解が不十分なものだったと気付くのには、長い年月を要して自分とその周囲を省みなければわからない。





作者はこの教育方法が結果としてトラウマになってしまった。でもそこには郷愁も混ざっている。
ある種の強烈な記憶として残る教育は、そこへの帰属意識が生まれるきっかけになるのではないか。トラウマ、もしくは愛校心・郷土愛として。
次はこのことについて考えていこうと思います。