ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 - 東京都美術館、11/28

上野で同時開催している北斎ジャポニズム展と合わせて観ると、シンクロを感じられる。

 

ゴッホは日本に行くことのないまま生涯を終えたけど、日本のことが書かれた文献や浮世絵を収集することで日本への想いを募らせていたらしい。しかしゴッホが生きた当時の実際の日本では明治維新が起こり、憲法が制定されたときだったから、彼のイメージとはだいぶ乖離していたかもしれない。
明るい日本のイメージに基づいて、明るい雰囲気の南仏で描かれた絵は色調が明るい。精神的に安定してる様子がわかって、よかったねえと思うんだけど、このあとの彼の人生の行き先を思うと少しかなしい。

 

浮世絵を模写したものがたくさん出てくる。ただ写しとるのではなくて、気に入った日本的モチーフを並べてみたり、いつもの油絵の背景にしのばせてみたり。浮世絵が西洋文化に混ざり合っていく感覚はざらついているが、変に癖になる。違和感があるけど、不快ではない。

 

北斎ジャポニズム展と同様、この展示も見本となったであろう浮世絵のあとに、ゴッホの作品が飾られている。並べて観ると、ゴッホがいかに浮世絵から多くのことを学んで、その技術を自分のものにしていったか、の過程を知ることができる。

例えば目線の高さ。街の風景を描くとき、浮世絵師は少し高いところから街を見下ろすように描く。そうすることで画に奥行きが出てくる。ゴッホもそれを意識したのか、街の風景に限らず、例えば道端に咲いてる花とかなんでも、とりあえずしばらくは目線を高いところに設定して描いている。
彼のイメージする「日本」の雰囲気を作品として可視化できるようになるまで、そういう細かな表現方法に注目し、素直に取り入れていくさまを観れてよかった。

 

この展示の特筆すべきところは、ゴッホの絵に魅了された日本人が、彼を看取った医師ゴッシェのもとを訪ねていった、その交流の様子を紹介しているところだと思う。ゴッシェを訪ねた日本人の名前が記録されている芳名帳や、ゴッホへの想いが書かれた手紙など、保存状態がかなりいいままで残っている。
前田寛治という画家がゴッホの墓参りに行って、「自分はゴッホの狂気に取り憑かれて、元に戻れなくなってしまいそうだ」と言いながら墓前に咲いていた赤い花を摘んで、それを自作の油絵の中に塗り込んだ、というエピソードがあって、なんか日本人らしい狂気の表現でいいなと思った。

 

あと気になったのは額縁かなあ。なんかやたら立派。小さい絵にもゴテゴテの額縁がつけられていたりして、これはどのタイミングではめ込まれるものなんだろうかと不思議に思った。作成完了時に画家自身が選ぶものなのか、絵の社会的評価がなされたあとにしかるべき第三者が選ぶものなのか…。
『蝶の舞う庭の片隅』の額縁が絵の内容とマッチしていて好きだった。

 

物販コーナーの気合がすごくて、ゴッホ美術館のグッズとかもあった。ルービックキューブはそれ。
ポストカードにある『花咲くアーモンドの木の枝』は展示されていない。これ生で一目観たいと思ってるのだが、なかなか出会えないな…。

 

うーん鑑賞から日が経つと、メモで感想を書き留めていてもそれをブログでまとめようとする熱がどうしても薄まってしまう。 鑑賞とその記録は趣味でやっていることだから、どうせやるなら精度を上げていきたい。