地続き

 

 

 

4年間はあっという間に過ぎていった。

もう高校の友人たちと彼女の話をする機会も減ってしまって、そもそも当時も話題にあげるのがなんだか憚られて、だから彼女のことは、それぞれの胸のうちにしまったままだ。

わたしの中の彼女は最後に渋谷で会ったときの姿でとまったまま、いっしょに年をとれない。

 

私は彼女の死を悲しんでいい、どれくらいの関わりの程度からなら泣いてもいいのかとか、本当にアホみたいだ、悲しいと思ったら悲しいと表明してもいい。
反対に、私はこれからも変わりなく日常を過ごしていってもいい。
今はこれしかできない。後になってこれを消すことになったとしてもそれでいい。

1月16日 - ZAKKIES

訃報直後に書いた文。
本能的に、自己肯定が必要だと感じたのだろう。

 

他愛のない思い出をなんども頭に浮かべては、たのしかったななどとにやついたり、彼女が好きだと言っていた歌を聴いたり、これが「故人を偲ぶ」ということなんだろう、とさっき気づいた。

今さらな。なんども考えてるわりに、時間かかったよね。

 

現実は思い出と地続き。