早稲田松竹にずっと行ってみたくて、でも映画あんまり得意じゃないから遠巻きに眺めてるだけだったんだけど、やっと観てみたいと思える映画が!
「モアナ 南海の歓喜」は1926年に公開された無声映画に、音を後から加えて1980年に復元されたもの。最初の無声映画はロバート・フラハティが制作し、今回の音声付きはその娘のモニカ・フラハティが編集。
この映画で「ドキュメンタリー」という言葉が初めて使われた。
ポリネシア圏のサモア諸島に属するサヴァイイ島で、婚礼の儀を迎えるまでの青年とその婚約者、家族の生活の様子が描かれる。
主人公の青年モアナとその弟のペアと父親は外で狩りや漁をする。それらと同時進行で母親のツウンガイタは家で樹皮を加工して服を作り、モアナの婚約者であるファアンガセは料理の下準備を行う。
淡々とした進行のわりに、場面がくるくる変わり、行動の目的が明かされないまま進むので、「次はなんだろう」と思いながら観ていた。
ペアがかわいい。10歳くらいだと思う。わなにかかったイノシシを縛り上げたとき、とても高いヤシの木に登ってヤシの実を落とし、きちんと降りてきたとき、自分で工夫してカニを捕まえたとき等々、いつもにこにこしている。カメラがあるからか?と思ったけど照れ笑いではなく、ピュアな笑みだった。めちゃかわいい。
そんで最後の婚礼の儀ではみんながモアナを祝して踊ってる中眠ってるの。そこでは寝るんかい!
めっちゃかわいかった。
モアナと父親も大概で、貿易風の影響で海が荒れに荒れているのに小舟を出して、案の定波に飲まれる。明らかに漁できる状況じゃなかったでしょ。そして岸辺の岩にのぼってバカでかい波しぶきを体に受ける二人。
フー!じゃあないんだよ。危ないよ。
さまざまな食糧を調達して家に戻ったら、今度は儀式の準備。
ここでモアナは通過儀礼であるタトゥーを入れる。針はないので動物の骨を使う。
大人の男性として認められたモアナは村人たちに祝われ、みんなで踊り明かしてエンディングへ。
モノクロなのに海の透明度の高さや、タロイモ畑の青さが容易に伝わってくる。それに唄がかさなり、豊かな生活が表現される。
音が映像撮影の50年後に収録されたと予め知っている状態で観たのに、なんのズレも違和感も感じなかった。本当に凄い。
個人的に、大学で文化人類学について軽くかじってから、ポリネシアの生活文化に薄い興味があった。
(授業で見た「ポリネシアの伝説 少年は海を渡る」という映画をもう一度観たくてずっと探しているのに、もう売られてないっぽい)
だから今回の機会は自分にとってすごく良かった。
「欧米人による島嶼地域の人々への“エキゾティックさ”の強要」についてひっかかっていて、なんとなくそれは自分にとって知らない感覚ではないような気がしている。
まあそれはそれとして、この映画は変わった手法で撮られていることや多少の演出があったことを差し置いても、そういう文化が確かに存在していたということ、それを私たちが認識できるということについて、とても大事な立ち位置にある作品だと思った。
いい映画だったな~。