本当の問題から目をそらすためにインターネットでの私的な発言について考える

ここ最近気が塞ぎがちで、その原因も解決方法も分かりきっているとはいえどうしてもぼんやりしがちであり、大学受験期のmixiの過去日記でも読み返して精神安定を図ろうとするも現在の自分と全く異なるテンションと文体で堪えきれず、一番最近に書いた5月の投稿ですら鬱陶しく思えてきて、人格はともかく文体や投稿内容ってそんなに短期間で変化するものなのかと驚いた。特に女子高生だった頃の日記はテンションの高さが文面から滲み出ていてセキララなこともほいほい綴っており、暗い話はとことん暗いテンションで書いていた。あの時の自分はずいぶん素直だったんだなと思う。


今の私はネットコンテンツを使って誰かに本格的な悩みを共有することがない。潜在的には共有できたらいいなと思っている。
でもそうするには知り合いが多すぎる。日常生活でも関わっている友人とネット上でも交流するようになってしまった。それは私にとっては大きな失敗だったなと思う。

私は元々実際の姿を一生知りえないような人たちと関わるのがインターネットの醍醐味であると理解しており、初めてのSNSであるmixiは高校や大学の友人に極力ばれないように気を使っていたもののそんなことはやはり不可能で、いったん知り合いをマイミクにしたらそれはそれで楽しくて、そこで箍が外れたように誰でもマイミク承認するようになり、それはTwitterでも他のコンテンツでも同じで、知り合いがいればいるほど面白いと感じるようになっていた。


ネットでエセメンヘラ発言を控えるようになったのは大学1年の秋あたりからのようだ。
その頃から誰にとってもどうでもいいことしか発言しないように心がけてきているような気がする。あくまでも個人的な判断に基づくものだけど。

インターネットは個々人の判断で成り立ってるものだから別に誰がどんな発言をしても何も悪くないし、誰も責めないから自由にしてくれていいのに、皆だって(スルーしてくれることも含めて)自分を受け入れてくれるところなのに、なぜ委縮してしまうのだろう。なぜこんなに発言することに躊躇してしまうのだろう。自分の発言に責任を持たなくてもいいのがmixiTwitterのいいところだと思っていたのに。
そしてなぜこの状態がネット上だけでとどまらずに実生活にまで反映されてしまうのだろう。もはやアカウントを消せば解決するような問題でなくなっていることに愕然とする。


今は何も言えなくなってしまっているから、自分の心理状態を自分の代わりに言葉にしてくれた誰かの発言をお気に入りに登録したりリブログしたりして過ごしている。



明日やるべきことリストを挙げて寝よう。
・定期券買う
・賞味期限切れのクリームパンを食べる
・ゼミの本読む


誰が見てるかわからないけれどこんな内容をブログに投稿する度胸があったという事実だけに満足したので終わる。テンションが高いであろう次の投稿までおやすみなさい。