「SNSでの(エセ)メンヘラかまってちゃん発言は排除されるべきでない」と前に書いた気がしてエントリ遡ってみたけどちゃんと書いてなかった。
何が言いたかったかというと、そういう発言を不特定多数に向けて発信できること自体が私にとっては尊敬に値することで、それで誰かにメンヘラとかかまってちゃんとかディスられようが堂々と発言し続けて欲しいなと思っているのだけど、でもディスリスペクト発言も同じように誰にも妨げられるべきでない。となるとメンヘラはディスをもろに受けることになり、更に精神衛生が悪化してしまう。それは好ましくない。
こんな無限悪循環を、今まで通り発言し続けながら避けることはできるだろうか。
ゼミで扱っている文献に
相互支援をともなわない相互尊重―つまりリバータリアン的な非干渉―は、相互尊重を平等なものとして現実化することはできず、自律的な生を生きていくことを一部の者にのみ可能な「特権」と化してしまう。
と書かれていて、ああ、と思った。思いやりが足りないんだ。
話の舞台をSNSに限定したのは、SNSが個々人の独立した発言から成り立ってるからだ。その場の空気というものがない。相手の表情が見えない。察する必要がない。
だから自由にポンポン発言できるんだけど、それゆえこんな風にメンヘラとディスの応酬が起こってしまうんだなあ。いろんな齟齬も生まれる。もう面倒だ。ここからいなくなってしまいたい。
やっぱりネット上でも思いやりは必要なんだよ。顔が見えないからこそ、その人の発言のみで、感情を汲み取る努力をある程度はしなきゃならない。その上で発言しないと。表現の自由は保障されるけど、人を傷つけていいということにはならない。
まじお前らバランス考えろ。
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