高校生の時、友人に「あんたの私服見たことないけど、Zipperっぽそう」と言われた。実際にはZipperはおろかファッション雑誌そのものを読んだことなかったから、後日本屋に行って立ち読みした
— 紋 (@neovillla) 2018年1月15日
その友人は4年前の今日死んじゃって、だからこの時期になると、その友人とZipperという雑誌のことを思い出す
— 紋 (@neovillla) 2018年1月15日
4年間はあっという間に過ぎていった。
もう高校の友人たちと彼女の話をする機会も減ってしまって、そもそも当時も話題にあげるのがなんだか憚られて、だから彼女のことは、それぞれの胸のうちにしまったままだ。
わたしの中の彼女は最後に渋谷で会ったときの姿でとまったまま、いっしょに年をとれない。
私は彼女の死を悲しんでいい、どれくらいの関わりの程度からなら泣いてもいいのかとか、本当にアホみたいだ、悲しいと思ったら悲しいと表明してもいい。
1月16日 - ZAKKIES
反対に、私はこれからも変わりなく日常を過ごしていってもいい。
今はこれしかできない。後になってこれを消すことになったとしてもそれでいい。
訃報直後に書いた文。
本能的に、自己肯定が必要だと感じたのだろう。
他愛のない思い出をなんども頭に浮かべては、たのしかったななどとにやついたり、彼女が好きだと言っていた歌を聴いたり、これが「故人を偲ぶ」ということなんだろう、とさっき気づいた。
今さらな。なんども考えてるわりに、時間かかったよね。
Zipper休刊のニュースがあったとき、真っ先にこの友人のことを思い出した 環境は変わっても自分の人生は続いていくんだなと思って、ニュースがあってからずっと考え続けていて、今日なんとなくだけど、やっと整理できたなと思った
— 紋 (@neovillla) 2018年1月15日
現実は思い出と地続き。