琉球の記憶 針突(ハジチ)山城博明写真展 - 農業書センター、9/8

この記事を読んで、あっこれ知ってる、行こうと思った。

私は2年前サントリー美術館の展示でハジチの存在を知った。ハジチというのは、沖縄の若い女性に施された、腕から手先にかけての入れ墨のこと。
その時は、鎌倉芳太郎という沖縄文化研究者の記録ノートが展示されていて、そこにハジチの文様がスケッチされていた。婚礼時とか、通過儀礼の風習として行われていた、みたいな説明文があったと記憶している。手先だからめちゃくちゃ痛いだろうなと思ったくらいだったんだけど、インパクトが強かったので、名称は覚えていた。


初めて農業書センターに入った。一階のドラッグストアに入って、階段を上がったところにある。写真は階段に沿って展示されていた。
記録DVDが流れていて、私が行った時にはすでに3人ほどがそれを見ていた。

ハジチを現在保有(入墨を身体に残し続けることをなんて表現するのかわからない)している人はいない。写真は撮影当時1980年代あたりで100歳を超えた人が被写体。それなのに、カラー写真が多くて驚いた。1972年に撮影されていたものがあったけど、その当時ってカラー写真あったんだっけ?わからん。後で本を読んだら「カラーフィルムは値段が高かったけど、ハジチの鮮やかさを撮るために買った」と記載されていた。

これがその本。

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写真が鮮明で、いろんなおばぁがハジチを見せてくれる。
それだけじゃなくて、昭和後半の当時の生活の様子がわかる写真もあって、すごいいいなーと思った。私が好きなのは、祭りの最中におばぁが3人座り込んで煙管を吸っている写真です。かっこいい・・・

あんまり関係ないけど、沖縄では結った髪のことを「カンプー」と呼ぶ。
カンプーの写真もあって、私それまでカンプーって単語をすっかり忘れてしまっていて、結構焦った。私自身が沖縄にいた当時そんなに方言を使ってなかったというのもあるけど、でも日常でよく聞く単語だったのに。もう忘れん。


巻末に民族社会学の視点からアプローチされた解説があって、これもすごく興味深かった。島嶼独自の文化がどのように途絶えることとなったか、明治時代に「国民」というひとつの概念を目指した日本政府と、そこでつくられた「標準」から外れた地方文化との攻防について。

地方でいつのまにか伝統になった文化や風習を「野蛮なもの」と定義して、一律に上から取り締まって「標準」と同化させることが良いこととは到底思えないが、ではこれらが現在まで残っていたほうが良いかと問われれば、ちょっとモゴってしまうのが正直なところ。
まあ、今の時点から過去を見るからモゴってしまうだけで、同じ時代に生きていれば感覚もかなり違っただろう。伝統はそれくらい心の支えになるし、禁止令が出たからといってなかなかパッと離れられるものではない。

解説では外国諸島での入墨文化についても触れられていて、そこで思い出したのが、去年観た映画だった。ポリネシア圏に属するサヴァイイ島での(そこでは男性の)通過儀礼としての入れ墨。誇らしさを手に入れ、周囲の人に自分を認めてもらうためのもの。
この映画自体も、撮影したときにはすでにその文化は廃れていたという。

ハジチがあることによって、沖縄県民とそれ以外の出身者とのトラブルがあったことも当時報道されていたらしい。
一度「標準」がつくられてしまうと、そこから外れた者として生き続けるのはかなり難しいと思う。精神的な苦悩の中で徐々に折り合いをつけていったのだろう。
相対的に見て自分がマイノリティであることって、どうやったら納得できるんだろうか?
反対に、自分は標準だと言い切れる根拠は一体どこにあるんだろう?
全然わからん。


農業書センターは、一般書店ではなかなか見かけない本が多くて面白かった。
月の満ち欠けカレンダーも買っとけばよかったかなあ。