夕暮れ、街灯の明かりしか無いような暗い道端で、黒く長いコートを羽織った男と出会う。
男はコートを広げる。服を纏っていない。
- 対面的露出狂
小学生の頃、地元で一時期露出狂の被害が頻繁にあって、下校の時間が早まったことがありました。
被害に遭ったことのある友人は「とりあえず大きな声を出して走って逃げた」と言っていた。
先生は「正しい対処です」と言った。
私は幸い見たことないんですけど、多分回れ右をして走って逃げる。
だって怖い。通り過ぎることもできないし、声を出して周りの人に助けを求めることも多分できない。ましてやガン見など!
- 一億総露出狂化
自分が露出狂になるなんてそれこそありえねーって思ってたけど、でも、インターネットの中では肉体どころか心の内をさらけ出すことに全くと言っていいほど抵抗が無いことに最近気が付きました。
Twitterでは思いついたことバンバン投稿してるし、mixiでは顔も出してる。Facebookなんて実名である。あほか。
言ってみれば私たちは黒いコートだけを着て、パソコンを通して互いにコートの中を見せ合っているようなものだ。
でも私たちは助けを呼ぼうともしないし、画面を閉じるどころかガン見、果てはもっと知りたくて知らせたくて更新の嵐。
どうしてこんなに自分を見せながら他人を見ることに遠慮しなくなったのか?
- ネットだから安心なのか
実際の顔が相手に見えないということは結構重要で、だからある意味無責任な言動がネットの中ではできる。
みんくちゃんねる
- 比重
私個人に関して言えば、対面的コミュニケーションがなければ、ネットで発言することがない。
ネットでのコミュニケーションは対面的コミュニケーションの補助的な位置にある(あってほしい)
対面:ネット=7:3。
―なのですが、対面的コミュというのは瞬発力が無いとどうもキャッチボールできないもので、「あああの時こう言うべきだった」と思うことが多いのですね。
そこで、「あの時こう思ってました」ということを伝えるために、ネットコミュニケーションを用いる。超便利。どうとでも繕えるから。
だから発言の多さで言えば、対面:ネット=2:8とかになる。
この二つの割合で、自分がコミュ強かコミュ弱かがわかるわけです。
- まとめ
現代、コミュ強でもコミュ弱でもどちらでも、私たちはすでに露出狂であることは確定しましたので、そのうちコートすらいらなくなって、どこかのヌーディスト村みたいに全裸で闊歩する日が来ます。
でも仮面はつけたままかも。