かわいいと思うこと

だいたい3年ほど前から、かわいい人や絵やコンテンツに対して素直に「かわいいな」と思えるようになった。

 

小学4、5年生の時、モーニング娘。が絶頂期の絶頂にいて、当時の(これまたかわいい)同級生はこぞって踊りをコピーしていた。スクールカーストの底辺にいた自分はそんな同級生をボケっと見ていた。
そのまま中学校、高校を過ごし、大学生になり、周りではAKB48が勢いづいてきていた頃だったけど、それでもかわいいものと向き合うことはなかった。
でも楽曲はそれなりに知っていて、サビなら口ずさむこともできたのだった。

 

それで就活を始めて、すんなりと内定をもらえるわけもなくオロオロしていた頃、無性に昔聴いていた曲が聴きたくなり、TSUTAYAの会員になった。それでモーニング娘。のベストアルバムを借りた。

今思えばそれが始まりだったのかもしれない。

その頃はいつもより鬱々としていたからか、モーニング娘。の曲はめちゃくちゃ心に響いたのだった。
マジで元気出る!元気出たついでにMVも見てみるか。かわいい!当時はうるさい女の子が学芸会レベルのことをしてるとひどいことを思っていてごめん!一人ひとりがキラキラしていて、歌詞もメンバーに合わせて割り振られているのがわかる。凝った衣装を着て、ちょっとクセのあるダンスを踊って(だからみんなすぐ覚えられるし、真似したがるのだ)、時にはストーリー仕立てのMVもあっていじらしい演技をしていたりして…。

一通りMVを見終えた頃には、松浦亜弥AKB48のアルバムも借りていたのだった。

 

アイドルの歌を聴きまくることによっていわゆるアニメ声にも耐性がつき、就活が終わって暇になったとたんに話題のアニメを借りて観まくった。なんだこんなに面白いものをみんな見ていたのか。自分もリアルタイムで見たかったなぁ。

 

社会人になって、アイドル育成ゲーム(アイドルマスター シンデレラガールズ/ミリオンライブ!)にも手を出し、案の定ハマる。
アニメは見ていなかったものの、ラブライブ!の楽曲を先に聞いて気に入り、スクールアイドルフェスティバル(音ゲー)を始める。リリースされたCDはとにかく全部借りる。アニメ2期はちゃんとリアルタイムで見た。
その約1年半後、ずっと目を付けていてアルバムリリースを待ち望んでいた乃木坂46がようやくアルバムを出し、速攻借りて聴く。
アルバムに収録されている曲を全部覚えた頃、個々のメンバーもかわいいことが分かり、情報を集め、人に紹介して取り込んだ。出演番組、雑誌をチェックし、過去のシングルCDはほぼ全て借りた。新曲が出たらCDを買った。同じタイトル曲でも数タイプあってそれぞれカップリング曲が異なるのでそれは借りて補った。ライブのチケットを手に入れるためモバイルサイトに登録した。
そうして2015年夏、生まれて初めてアイドルのライブに行ったのだった。 

 

振り返ってみると、幼い頃アイドルにそこまで興味がなかったかと言えばそうではなく、なんとなく恥ずかしいという気分と、比較して冴えない自分のことをむなしく感じてしまう危険性があって、それを恐れていたから向き合ってこなかったのかもしれない。

ハマってしまった今でもそんな複雑な気持ちになることはある。雑誌をチェックすると普通でもかわいいメンバーがさらにかわいく着飾ってこちらを見ている。かわいいなと思うのと同時に、アイドルを追って自分はいったい何がしたいのだろうとも思う。

ライブに参加した後はかなり熱量が消耗してしばらく出演番組を見るのを避けたり曲を聞かなくなったりした。今度出るシングルは買わずに借りる。欅坂46が誕生したがそもそも楽曲ありきで好きになっているのでデビュー曲が世に出るまでは様子見だと思う。メンバーを覚えるのももっと後になるだろう。

輝いている時期は一瞬だから悪く言えば使い捨て、いつか卒業することが確定しているからそれまでだね、みたいな儚げな存在たちであることがわかって、ちょっとせつない。

とのたまっていながら、一方ではデレステ(音ゲー(正式名称は長いので省略))をインストールしてまたCDを借りている。諸星きらりがお気に入り。

かわいいものを素直にかわいいと思えるようになって、自分の活力源たりえるものの幅が広がったし、「こんな気分のときはこのアイドルのこの曲を聞きたくなる」というような考え方が生まれて、気分に名前を付けるような新しい感覚を手に入れた。

あとは単純に話せる人が増えた。昔の友人も最近になって久しぶりに会うと立派なプロデューサーになっていたりして、いろいろ勧めてくれたりする。
何を媒介にしても最終的に楽しくなれりゃいい。そんな楽観的な結論になってしまうのもかわいいものたちの効能なのだと思う。

 

 

画鬼暁斎 - 三菱一号館美術館

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三菱一号館美術館は東京駅から徒歩5分くらいのところにある。

新宿駅でポスターを見かけて、あらかっこいいキャッチコピーだわと思って見つけた日の翌日に行きました。

 

河鍋暁斎と三菱一号館を設計したジョサイア・コンドルの交流をそれぞれの作品から読み取ることを目的とした展示。
コンドル、鹿鳴館とか明治日本の重要建造物を建築した偉い人なんだけど、一方で日本文化を愛するいい人だった。日本舞踊を自分で覚えて披露するくらいだから当時結構イケてる外国人だったのだと思う。
日本画も同じように好きになり、河鍋に弟子入り(29歳)。暁斎から一字をもらう+英国人だから暁英と名付けられる。二人は師弟関係となり一緒に旅行に行くほど気心の知れた友人ともなり、コンドルは河鍋のパトロンとしても役割を果たして、互いに大切な人となったのでした。

 

河鍋のすごいところ

・作品によって筆致を正確に使い分ける

木版画、錦絵、墨画で作風が全く異なっている印象を受けた。あとは動物を描くのと人(特に観音像)を描くのでも、同一人物が描いたものとは思えない仕上がりになっている。
「閻魔と地獄太夫」とか「横たわる美人に猫図」を見ると分かりやすいと思う。「閻魔と地獄太夫」を観た時本当に驚いて、この人多重人格の可能性あると思ったくらいだった。

 

・表情豊か

動物に表情がある!猫ちゃんかわいいぞ!f:id:neovillage:20150813153758j:plain

んっ
あとは蟹の綱渡りとか、猪に乗る蛙とか。楽しそう。
国芳に師事していた時期もあったから、その影響もあるのかなあ。

 

作品をいろいろ見ていくと、河鍋は狩野派という由緒正しき日本画の技術がベースにあって、そこから個人の描きたいものを描きたいように描いている感じがした。
展示説明に「作品が多い上に作風もめちゃ多いので複雑な印象があり、評価され難い人だった」とあって、なるほどなってなった。何から見たらいいのか分からないもんな。

 

個人的には「毘沙門天之図」とか「不動明王開化」とか、神とか観音を描いたのが好きだった。神がいかめしく立っていてその後ろには炎が燃え盛っている!ぎゃー!かっこいい!

絵の端々にはほのかに西洋画っぽいニュアンスが感じ取れるのもあり、観ていて飽きなかった。

 

それから春画があって驚いた。一般の展示の中に春画コーナーを作るとこってあんまないと思う。黒く薄い布で仕切られ、部屋の一辺分という小さいコーナーだったけど面白かった。18歳以下の人は見れません。
河鍋、神観音でない一般人を描くときは、滑稽な部分を強く描き出している気がする。人間の複雑な感情をテクニカルに描き切っている。

 

絵日記の展示もあった。コンドルとの旅行の様子を書いていたり、コンドルの判作って押してたりして仲良しか。微笑ましい。 スケッチには観音の顔や景色など。 コンドルも絵を残していて、河鍋の絵を模倣したであろうものが複数あり、ああそれは真面目に稽古していたんだなあと。趣味道楽と呼ぶにはもったいないほどの出来のものが多かった。 個人研究の本も数冊出していた、表紙が美しい。実際のスケッチも多数収録していたっぽい。

 

そういえばキャッチコピーに惹かれて観に行ったわけだけど、特に河鍋も当時の時代も狂っていたとは思えなかったかな。技巧が凄いし幼少から写生ばっかりしていたというから、確かに”画鬼”ではあると思ったけど。

 

という感じ。
展示内容は前半は興味なかった(建築物の設計図、デッサン等)のでアレだったけど後半楽しかった、コンドルの暁英としての活動を観れたのは貴重。
美術館の造り上、章のまとまりが一部屋分と小さく(そして部屋自体が小さい)、また順路が複雑なため戸惑うことが多かった。春画は部屋の真ん中に仕切りがあり、そこに並ぶ必要があって列に少し混乱が生まれる。あと多少寒い(ストール貸してくれる)。全て観終わったところにアンケートコーナーがあったけど、予め「アンケートに多い要望等に対する回答」の看板が立っており、上記の感想は全て回答済みかつ改善不可ですと言われて思わず笑う。
そりゃそうだよなあ…でもなあ…と思いつつ出ました。

 

で、チケットホルダー買った。

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なんだと!また買ったのか!またチケットホルダーを買ったのか!こういう企画展にはグッズショップで必ず売っているチケットホルダーを!毎回買っていてもう自宅には3つくらいあるのに!しかも今回の展示は後期しか行っていなくてチケットホルダーに印刷されている絵は前期のみの展示だったから本物観れてないし!でもかっこいい!「地獄太夫 がいこつの遊戯ヲゆめに見る図」というタイトルが素敵!
だから買った。

 

https://instagram.com/p/6PFlkfm9FXp4eoeZGhu4iobVLDJ55R4HAziLo0/

美術館行ったあとにKITTEのフードコートで肉まん食べた

 

雑記

近況です。

胃が痛い

3月の初めに祝い事で実家に帰り、着物を着てしばらく過ごしてたら
その日の夜から胃が痛くなりました。

着物さ、すげ~当て布多かったんだ・・・脱いだら次から次へとボロボロ出てきて
一生着替え終わらないと思った

今も食後に胃が痛くなるので量を控えめにしています。
ムチャ食いしたのが明らかに主たる原因なんだけど、自分はいつも親戚の集まりに行くと必ずダメージを受けるような体質になっているのでその影響もあるのだと思う。
もう25歳になるってのにかわいそう

Twitterをまたやめた

いったい何回挫折するつもりなんだ!

 

美術館には相変わらず行っている

美術館には相変わらず行っています。

 

引っ越しをした

去年の夏に引っ越しをしました。

理由は今まで住んでいたところがガード下にあって暗い・隣のアパートに住む母親の子どもを叱る声がそこら一帯に響き渡るくらいでかい・電子レンジとテレビとエアコンを同時に使うとブレーカーが落ちる・・・など、総合的に見て気が滅入り部屋だったので、結局契約期間の2年を待たず逃げだすように出ていきました。

まったく離れたところに移り住んで半年くらい経ちますが、今のところ心穏やか部屋です。本当によかった。

 

 

以上です。

ノー残業デーなるもの

「あるにはあるが実質ないもの」という認識がまかり通るのはいやだ、
もうちょっと強引な雰囲気になってほしい。

 

今どうしたらいいかなぁと考えているところ。
①ノー残業デー該当日にはPC立ち上げ時にデスクトップをノー残業デー仕様に変えるよう設定
②定時になったら椅子が勝手に家路につく
③踊る

消灯とかアナウンスとかはさすがに反感買うと思うんだよな、できることなら定時に帰るのが(あるいは、帰っても)ハッピーだと自発的に思えるような感じにしたい。
「ノー残業デーとか言ってる場合か」という荒んだ職場はつらい。そりゃもちろんそんなことを言いたくなる日も数あるけれど。

理想としては電車の優先席みたいなノリにしたい。

 

先週のこと

先週の金曜日にコンタクトレンズを作りに行った。
小2で眼鏡を掛けはじめてから約15年間、目の中にレンズを入れるという選択肢を考えたことがなかった。別に眼鏡が好きだというのではなくて、単純に視力がないから掛けざるを得なかったし、そんでもって矯正するならなるべく安全な方法がよかったというだけのこと。
コンタクトは1時間で作れた。眼科のお姉さんが気さくな人だった。
身軽になれた気がして嬉しくなってラーメン屋に寄って帰った。

その日に眼鏡のフレームが壊れたので次の日新しいのと取り換えてもらった。
いつからこうなったのか忘れたけど移動中と食事中は眼鏡を外すのが癖になっていて、その間眼鏡は服のポケットに直で入れてたり、どっかに放り投げたりしている。
これがすぐ歪んだり折れたりする原因なんだろうか。
新しいフレームは前のよりべっ甲柄がガンガン出ていていい感じです。

 

金曜日に私が行ったラーメン屋はかつて東京でいちばん行列のできる店だったことを、月曜日に部長が教えてくれた。
「一人で行ったの?」「はい」「素敵」
「何グラム?」「並で450グラムです」「結構多いと思うんだけど、軽く食べられそうな顔してるよね」「おいしかったです」
という会話をした。

コンタクトレンズを付けていることに対して、いまだに当事者意識が薄くて、こんなにデカいふにゃふにゃしてる板みたいなものを目の中に入れるなんて生体医学的に狂ってるだろと思う。
まあいつかは何も考えずに装着できているようになっていると思うし、もしできなくても新しい眼鏡は気に入っているからそれでいい。
しばらくはぎゃーぎゃー喚きながらがんばってトライし続けるつもりです。

1・2月の浮世絵 - 太田記念美術館

いつものごとく3か月程前の出来事になってしまったので記憶が曖昧です。

 

 

 1. 富士山の浮世絵(2014.1.26)

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これ観終わってすぐの感想が「地味だったな・・・」というもので、だから今思い返してみたところで「地味だった」と再確認する作業しかできなさそう。
歌川広重葛飾北斎の二強だったかな。

 

風景画なので遠近法とか影の付け方とか、そういう画技に注目できた、いつもみたいにパッと見でわかる美しさだけじゃないものを観れたような気がした。

 

北斎の弟子に昇亭北寿という人がいて、いくつか展示されてたんだけど、まだ遠近法の焦点の当て方が未完成だった頃の画もあってなんだか衝撃を受けた。

「うおお!試行錯誤してる!」みたいな。いや当たり前なんだけど。技法を身につけきれていない画を観れたのは貴重だった。

 

富士山のある風景、という限定的なテーマなので、やっぱりどこかのタイミングで飽きてしまうのは仕方なかったのかも。
構図に関して、広重も北斎もバリエーションが豊富でめっちゃ考えてんだなとは思った。ただ広重は、遠近感を出したいがゆえに柱とか木の幹とかを手前に持ってきすぎて、視界の邪魔になってる作品が多いように感じた。もちろんわざとそうしてるんだと思うけど。

 

2.葛飾応為 吉原格子先之図―光と影の美 (2014.2.2)

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 これめっちゃよかった。
1.の展示と同様に光の当て方/影の付け方、という画技に注目した展示。

 

葛飾応為北斎の娘。天才。
展示タイトルはポスターの作品の名前で、初めにこれがばーんと展示してあった。
この作品は、吉原の屋敷にいる遊女たちを外から男性客が見に来ているところを描いたもの。物理的に考えれば、中央にいる男性(と子ども?)が持っている提灯の光で、そのすぐ近くにいる遊女の顔は本来見えるはず。けれどもあえて彼女の顔を明らかにしないことで、鑑賞者の想像をよりかき立てるような作品になっている。

はあ。めっちゃすごい。感動してほいほいこの画のクリアファイルを買いました。

この時のメモ読み返したら割といっぱい書き留めていた。文章にまとめるの面倒なのでてきとうにカテゴリに分けてそのまま載っけます。

◎応為絶賛

・応為は本当に才能あったんだと思う。観察眼と表現力と技術が備わっている

葛飾応為の作品は一点と、絵巻と、あとパネル展示だけだったけど、あれでも十分よかった
・大浮世絵展で初めて知ったけど、すごい人だったんだな、北斎Wikipediaで娘がいたっていうのは知ってた気がするけどすっかり忘れていた

 

◎花火

・花火大会の絵たくさんあったな、花火の描き方絵師によって全然違って面白い

・四代歌川豊国が他にどれだけ作品残してるか知らないけど、川崎帰の舟に乗る女性二人の絵は大胆で良かった

・歌川豊春の天満天神夜祭はファンタジーでいい感じだった
 画面中央に架かる橋には人がごった返していて、上には星が白い点で表現されてんの。あれはきれいだった。

 

◎雑感

・豊原国周の楽屋にいる歌舞伎役者の様子描いてるものも興味深かったな、そういう所も取材してるんだなって思った
 いわゆるバックステージみたいなところにも目を向けてると、ちょっと考えたらまぁあり得るなってわかるんだけど、目から鱗っぽい作品だった

・三代歌川豊国と月岡芳年の描く女性は本当に綺麗だ

・歌川芳幾の写真を模した絵はおもしろかった、今でも「写真の様な絵は描く必要あるのか?」とかいう議論あるから

・芳幾はあと歌舞伎役者のシルエットのやつだな。シルエットの映った障子にそのまま紙貼って描いてるやつ。笑っちゃった

 ・笑ったといえば歌川国芳日蓮の二作も面白かった。取り巻きが皆日蓮がもたらす現象に翻弄されている感じ
 芸人の団体芸リアクションみたいな感じね

・今月の展示は心震える作品が多かった、感動した

 

あっ、これ伝わりづらい。
これ載せてもどの画について述べてるのかは私自身しか分かりようがなくて不親切だな。今後はしない。

兎にも角にもこの展示はめっちゃ興奮しながら観れたので満足度高かった。たぶん光と影というテーマが捉えやすかった+絵柄が多様だった+派手な画が多かった からだと思う。

 

この二つの展示で、絵師は、題材を切り取る発想力と、それを実際に表現する技術力との両方が備わってるんだな、ということを感じた。
そこに辿り着くために、北寿のように何度も練習を積み重ねていたことも知れた。

はー。長くなった。

3月の展示は見逃してしまった。

 

大浮世絵展 - 江戸東京博物館 (2014.1.18)

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※隣にいるのが通常売られているサイズ

 

ちなみに閲覧料は1200円だ。
勢いは大事。

メインの展示はと言えば、人が想定以上にとんでもなく多かった、でもそのおかげで一つ一つ細部までゆっくり観ることができて結果オーライという感じ。
渓斎英泉のベロ藍(という色料)オンリーの絵と、葛飾北斎の娘が描いた絵、それから一枚紙の両面に刷られたワケのわからない技術を駆使していた絵(ワケがわからなさすぎて誰が描いたのかすら思い出せない)が印象的だった。
北斎の娘については別の展示も行ったのでまた後日。

人が多かったので、他人の会話も耳に入ってきて、いろんな着眼点があんだなーと思いながら観れた。よかった。
北斎ベアブリックは家に来て3か月ほど経ちまして、今はDVDプレーヤーの上に悠然と鎮座していらっしゃいます。