奇才 江戸絵画の冒険者たち - 江戸東京博物館、6/16 +雑記

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まずは再開を素直に喜びたい。

前に展示観に行ったのいつだっけ?と思って調べたら去年の12月だった。半年…。

 

入ったらフェイスシールドとマスクを装着した受付の方が体温を測ってくれた。腕にかざすだけでわかるやつ。
展示を観たい気持ちだけで行った(感染者数が不安定なので、またいつ休業になってもおかしくない)のだけど、「どこから来たかわからん奴に館内をうろつかれるのは迷惑ではなかろうか」とも思ったし、行ってよかったのかどうか今も解が出ない。

 

「奇想の系譜」(東京都美術館、2019年2〜4月)の内容を基礎とするなら、今回のはもうちょっとマニアックな印象。
「奇想の系譜」は絵師の個性がより激しめに出ているアクの強い作品が多かったけど、「へそまがり日本美術」(府中市美術館、2019年3〜5月)で取り上げられたようなゆるめの絵柄の作品や、今まで取り上げられることが極端に少なかった絵師の紹介などもあった。なにがどう「奇才」なのか、概念の多様性を提示してくれるような内容だった。あとは地域で章立てしていたのも面白いアプローチだなーと思った。

 

会期が2ヶ月から3週間に縮小、そして作品数もかなり減ってしまった状況を思い、鑑賞中何回かウッとなってしまった。
いつも通りグッズをいくつか購入し、おおむね1時間半の滞在で終えた。

 

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博物館駐車場の紫陽花

 

ここから話変わるんだけど、「美術館女子」がここ数日話題になっていた。
私は美術館に行くのは好きだけど、これはスルーしてもよさそうな話題だなと思い、企画そのものを読まなかったので、私がこの話に意見を言うことはできない。

 

検察庁法改正の件から何度か思ったことがあって、それは「別に全ての事象に対して自分の意見をつくらなくてもいいんだよな」ということ。
もちろん内容を知ろうとしなければ意見は生み出せない、そして逐一自分の意見や意思を表明する、特に怒りを示すことでよりよい社会の実現につながる、それはそう。
そう思うんだけど、私はやっぱり自分の精神衛生を優先したい。そこはかとない後ろめたさをどう処理するかは今後の課題になるだろうか。

 

Twitterはかなり濁流みが増している。
検察庁法改正、メディアと誹謗中傷、賭け麻雀、ローソンPB、BlackLivesMatter、元アイドルのプライベート流出、アンジャッシュ渡部の不倫、美術館女子、マジで息が詰まる。
一つひとつを深読みしようとしなくてもいい。これはわからん、それは興味ない、あれはどうでもいい。別にそれでいいし、そう表明するのもいいと思う。
とにかく最近の応酬にはうんざりしている。私はこのブログを書き終わったらTwitterに上げるけど、早く濁流に飲まれることを願う。

 

自分が向き合わなければならない問題を取捨選択できるようになれたらいい。(≠向き合いたい問題、なんだけど、これが一番難しい)