今年は美術館というか何らかの展を鑑賞しに行ったの7回だけだった。いやあ、7かあ。
2016〜2019の年間平均値は約25。そこから考えるとかなり少ない。
去年の暮れにぼんやり「疲れた。2020年は特別展多そうだけど、あんまり行かないかもな」と思っていた。これは単純に鑑賞に足る体力とモチベーションが落ちてきたという意味だけど、予感は微妙に的中してしまった。病が主な原因になるとは想像もつかなかったけど。
今年最後はこの展示。
河鍋暁斎の底力 東京ステーションギャラリー、12/8
下絵(版画になる前のラフ画みたいな)のみの特集で、河鍋暁斎の筆跡がそのまま見れるのか、すごいな…と思って行ったら本当にすごいのばっかでちょっと引くくらいでした。
サラサラ描いてるような筆運びなのに、人間は正しい骨格に基づいていて、想像上の動物でもそのものを見てデッサンしているかのような「確かさ」があって、それでいてこの画は暁斎のものだと誰もがわかるような豊かな表情があって。
でも、センスはもちろんあるんだろうけど、「天才」というよりは「努力の鬼」だったんだろうな、と思わせる組み立て方だった。
2019年前半までは1時間半〜2時間程度の滞在がほとんどだったのが、最近はきっかり1時間で見終わることが多い(もちろん展示規模にもよるが)。今年は作品数を減らして開催されたものもあったし、その影響と私自身の問題と、どちらもあるんだろうな。
行った7つの展示の内ひとつは月岡芳年、ひとつはこの河鍋暁斎の特集で、この状況下でお気に入りの絵師のがふたつも観れたことはとてもラッキーだった。電車で1時間かからずに行ける美術館がごろごろあって、そこに自分好みの展示がうまいこと開催されてるんだから、東京は恵まれてるよ、マジで。
私がやってる「鑑賞」には個人的な決まりごとがあって、
- 作品を見てから解説文を読む(解説文に沿った見方しかできなくなるのを防ぐため)
- 解説文は理解できるまで読む
- 会場から出たらなるべく早く感想をメモする(すぐ忘れるから)
ま、これだけなんだけど。ノルマ多くてもしんどいだけだからね。
体力が落ちたっていうのは、このみっつを守ることすらできなくなってきたな、ということで。
すぐ解説文読み始めちゃったり、鑑賞中に何を考えてたかじっと思い出す作業を苦痛に感じたり、なんかテキトーになってきた感があった。
物販目当てで行って、自分がしていることはただの消費だ、と自己嫌悪になったこともあった。
美術に関する知識のない私が、なんで美術館にいそいそ行くのか。自分自身が何に感動してどういうことを考えるのか知りたいからだ。鑑賞を通して自分と向き合う時間をつくっている。だからその確認作業を怠ったら、行く意味がほとんどなくなってしまう。
今年はペースをゆったりにして、腰を落ち着けて考えなきゃと思っていたので、半ば強制的に美術館に行けない状態が続いたことは、自分の鑑賞行為を見つめ直すいい機会になったかな。
来年はどうするかな…。正直、あちこちたくさん行きたいとは思ってない。今年は特に厳選せざるを得なかったけど、見たいものだけ見に行くスタンスはこれまでと変わらない。世の中が明るくなったら自分も心が外向きになっていくかもしれないが、別にそうなれなくてもいいかなと思っている。