5月23日

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祖母が他界したのでしばらく静かに過ごしていた。

沖縄県にも緊急事態宣言が発令されたため、葬儀への出席はしなかった。とりあえず日程を教えてもらって、家族の状態を心配しつつなんもできない日々を送った。
上司に「葬儀には出席できないが喪に服す時間がほしい」と正直に相談したら、忌引を認めてくれてありがたかった。

しかし半年に一度、帰省するたびに必ず会いに行っていたのに、最後の別れが叶わないなんてことあるかよ〜。やるせない。
もちろん東京で生活することを決めたときに、家族や親戚を看取れないことの覚悟はしていたけど、その原因が感染症の蔓延とは思いもよらなかった。。
祖母の死を受け入れられたのかどうか、自分で判断がつかない。いつか(いつになる?)沖縄に帰った日にわかるだろうか。政府や都のお願いをお利口にきく自分に腹が立つ。しかし実際に私が引き金になって感染を拡大させる恐れがあるし、かかりたくないし、と思うと「自分も行きたい」とはとても言えなかった。
法事は滞りなく終了したという連絡があって、それで少しほっとした。


祖母は那覇市の公設市場につながる通りで服を売っていた。上の写真は数年前、店の中から撮ったもの。
小さい頃はよく祖母が働いてる時間に遊びに行き、商店街仲間のおばちゃんたちからお菓子をもらうなどしていた。

私が最後に会ったのは2020年の正月で、祖父母家で食事をしたんだった。でもどういう会話をしたかおぼろげだ。私の名を呼び、それからなんて言ったんだっけ?記憶はどんどん薄れる。
思えば全然ぼけなくて凄かったな。90歳で逝ったのだが。


祖父母家から帰るときはいつも、「これが最後かもしれないから、ハグしよう」と言って、玄関でハグする習慣がついてから5年。
入院し、孫の代まで全員病院に呼んで、最後のスピーチをし、みんなで泣いた。
あれから3年。がんばったね。