『三国志 完全版』(吉川英治、歴史浪漫文庫)を読み終わった

※ネタバレ要素があります。


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iBooksで読んだ。全十巻、iPhone7の画面で6713頁。

 


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読み始めた時期うろ覚えだけど、栞を挟んだ履歴から推測するに、おそらく2017年3〜4月あたりだと思う。
三国志スタンプは今も気に入っててよく使う。横山光輝版はiBooksKindleには出てないみたい。読みた〜い。

 

ちびちび読み続けて約3年、先日ついに読み終わった。

毎日読んでたわけではなく、思い出したら読む程度だったんだけど、今年の1月20日から「これじゃいつまで経っても読み終わらん」と思い、毎日5分読む日課をつけた。その時全体の77%目だったので、2ヶ月ちょいで23%読めたことになる。
ということは、毎日読んでたら本来は1年足らずで読了できたということだ。でも今までダラダラ読んでたのにいきなりブーストかけるほうが難易度高そうじゃない?だから俺はすごい。

 

まあなんで飽きずに読み続けられたかといえば、三国志の物語自体の面白さと、吉川英治の文の美しさの二点、これに尽きる。
ちょうどブーストかけてからすぐ関羽が死んで、そこから物語も一気に加速して面白さが増した。

 

個人的には孔明vs孟獲(もうかく・南蛮軍)のエンドレス戦闘が結構好きだったなー。戦略で攻める孔明と、猪突猛進型の孟獲がいい対比になってて。対戦を重ねるうちにだんだん孟獲が分析・対策を始めるなどの成長も見られてウケた。

それから劉備が珍しく(敵の使いに)激怒し、それを見ていた龐統ほうとう)に「珍しいですね。立腹の後味はどうです?」と問われて「たまにはいいなと思った」と返した、という話も好き。


組織内の人間関係の描写などは普遍性がある。優秀な同僚に嫉妬して自滅する者、暗愚な上司に見切りをつけて辞めていく部下。それらのシーンのどの人物も、たしかな人間味が感じられるのが、吉川英治の凄いところだと思う。

そういう人物描写も網羅しながら、戦争による人間の生き死にもがっつり描いているのが、さらにおそろしいのだけど…
三国志は人がすぐ死ぬ。とにかくまとめて死んでゆく。張飛趙雲が敵を片付ける描写なんかだと、一文で敵の軍団全員死ぬ。
それは主人公側でも同じで、あっけない死が幾度となく描かれる。
そういう「死の避けられなさ・平等性」についても、容赦なく思い知らされる物語だと思う。

 

 

近況

前記事のときと比べると体調は回復しつつある。

精神衛生を通常に戻すには、小さい成功体験を積み上げていくしかない。溜まったごみを一つにまとめた(捨てに行くまではできなかった)とか、洗い終わった洗濯物を放置せずに干せた(3時間以内に干せばセーフだと思っている)とか、いちばん低いハードルをゆっくり跨って越えていくような感じ。
そのうち調子が出て、いつもの自分に戻っていく。

 

職場でもイレギュラー対応の中を通常の心持ちで泳げるようになってきた。
これはあまりよくないかもしれない。変に慣れてはいけない。しかし、精神衛生のための成功体験イコール環境への適応、という図式が頭にあり、体調が戻ったら戻ったでジレンマに陥っていく感がある。あ〜〜〜〜〜〜。沼に嵌りそうなときは大きな音を出して考えるのをやめよう。

 

英会話教室をやめた

正確に言えば、1ヶ月だけ休会すると申し出てから1ヶ月たたないうちにSlackのメンバーから外されていた。
まあ仕方ない。復帰するかどうか決められなくて、毎日悩んでたし。休会したきっかけは、人間関係のトラブルの火種ができたからであり、英会話そのものが嫌になったわけではなかった。講師は相談に乗るよと言ってくれたけど、そういう気分にも持っていけなかった。やめたことで火種は無事に消えた。
残念な終わり方ではあったけど、英会話を1年4ヶ月続けたことはかなり自信になった。やってて実際楽しかった。

ということで習い事はしばらく手話一本になる。手話も相変わらず楽しくやっている。

www.afpbb.com

これが少し気になっている。遠いけど行ってみたい。

 

玄米を食べはじめた

今年に入ってから玄米を食べている。
もともと十五穀米とか全粒粉ビスケットとかくるみパンとかが好きなんだ。玄米もそのカテゴリに入るだろう。
下処理不要、白米と同じ炊き方でいけるものを購入している。
味はどう?と聞かれても正直わからん。大抵のものをおいしいと感じる脳と舌で食べておいしいと思う、そんな感じ。おいしい。白米と異なる味がする気はするが、どう違うかと聞かれてもわからん。どっちも好き。
玄米を食べるときはふりかけをかける。なぜなら、ふりかけもまたおいしいからだ。

 

外出について

この土日は久々に外出した。花粉症対策で新しく処方された薬を飲んで、顔にミストを振りかけて出歩いたら、マスクなしでも一日大丈夫だったのでかなり感動した。

外出といえば、美術館が軒並み臨時休館になってしまい悲しい。低調期を脱してやっと美術館に行きたいと思えるほどの元気が出てきたところだったのだが、こればかりは仕方がない。
大切な期間だと思って見守ろう。 

 

2020.3.1

あんまり元気がない。


職場の人とのコミュニケーション不全で落ち込んでいるところに、新型肺炎のニュースとその対応やらなんやらで少し疲れた。
木曜日は一日休んで文字通りほとんどベッドの上で過ごした。
金曜日は出勤し、最低限のことをして、家の近くのドラッグストアのトイレットペーパーが売り切れているのを横目にレトルト食品と牛乳を買って帰った。そんで土曜も家から一歩も出れないまま過ごした。そういえば先週の土日も家を出なかった。掃除機をかけて食器を洗って読書したら少し気が晴れたので、よしよしと思っていまブログを書いている。

3月の出勤どうなるのかな。今の部署は自分以外全員小さいお子さんがいてみなさんすごく困惑していた。そりゃそうだ。みなさんが出勤できなくなったら、比較的柔軟な出勤ができるわたしががんばらなければ、と思ったが、この体たらくではあんまり期待できない。
「みんなで調整して乗り切る」ことより、「みんなが無理をしない」ことを優先していきたい。

 

自分は情報疲れに陥りやすくて、2月に入ってからはTVのニュース番組も避けているし、Twitterもアプリを消した。言いたいことがあったときだけログインして投稿してすぐログアウトする。
質が低い情報とかデマそれ自体を見るのも嫌だけど、それらに対して糾弾したり不安を訴えてくるのを見るのがとにかく辛い。東日本大震災のときもそうだったし、2019年10月の台風でもそうだった。

不確定な情報に踊らされる人々を馬鹿にできない。不安という感情は強いからだ。政府の対応にも思うところはあるが、新型肺炎対策に関して言えば、自分のできることは予め限られている。それらを確実に行うこと以外に、何もしたくない。

 

それで情報を遮断している間なにしてるかというと、本読んでる。

いまは『三国志(完全版)』(吉川英治作)と、研究社『琉球方言とウチ・ソト意識』(内間直仁著)の2冊。
三国志iPhoneの小さい画面で2016年に読み始めてから、約7,000頁中残り700ページくらいまできた。今年に入ってiBooksに読書継続日数や一日の読書目標時間を設定する機能があることを知ったのがブーストとなった。一日5分で目標設定したら、継続日数が止まるのがこわくてとにかく毎日読むようになったのだ。5分て、短い設定時間数ですけど、継続が主目的だから低いハードルでええねん。お昼休みとか、退勤時の電車で読んでる。

琉球方言のほうは、言語学的見地から琉球方言を観察して、そこから沖縄県民の社会心理を解き明かそうとするもの。
この本が、長年自分が考えてきた問題を解決に導くような気がしている。2月中旬から毎日読んでる。私は言語学を学んでないから別途調べたりすることもあるけど、とにかく面白い。
自分の興味関心は言語かもしれない。
これはだいたい寝る前にIZ*ONE聴きながら読んでる。

 

あとはお茶をよく淹れるようになったな。貰い物の紅茶が溜まっちゃって。昔買った急須を引っ張り出して使っている。

現実逃避かなと思いながら、最近はそんな毎日を過ごしている。

 

雑記

「ZAKKIES」と冠したブログでわざわざ雑記タイトルの雑記書く?と思ったけど、たいしたタイトル思いつかん。

 

・TV観るようになった

模様替えしてから、TV観る頻度が高くなった。
いつも朝の出勤準備のときにニュースつけてるだけだったけど、これでさんざん撮り溜めてたやつ消化できる。
「ねこねこ日本史」が好き。

 

・児童書を買った

 

『ビターチョコレート』さ・え・ら書房
ミリアム・プレスラー作、中野京子訳、吉川聡子装画

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太っている自分が嫌いでダイエットを繰り返し、そのたびに失敗して過食症に走る少女エーファの話。
これは1980年にドイツで書かれた本だけど、自分の見た目を気にして激しいダイエットをしたり、摂食障害に陥る子っていつの時代もいるよなあ、そうだよな。

とにかく自分に自信がない、こんな見た目だから人に笑われたり嫌われたりされると感じる。
私もかつて恋人に「また太ったね」「156cmなら43kgまで許す、それを超えたら別れる」などと言われてたいした食事をとれなくなった、あいつは早くくたばれマジで。周りの目がつらく、下ばかり見て歩き、とにかく自己否定で苦しい日々を過ごしたことがあった。

そこから立ち直るのはとても難しかった。
いつだったかげっそり痩せて帰省した私を見て母親が泣いて、それで初めて「あっ、これはよくない」と気付いたような気がする。

エーファも友人や母親との会話を通してありのままの自分をだんだん受け入れていく描写があって、視野が狭くなってしまったときの周囲の人たちの協力ってかなり大切だなとわかる。たとえ自分がそれを望んでいなくても。


『優等生 いつか本当に泣ける日まで』ポプラ社
松村美樹子作、一色みな子絵

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成績がよく責任感の強い優等生の悠子(左)が、人並みよりちょっと下のところにいる、のんびりしてて喜怒哀楽に乏しく何考えてるかいまいちわからない風花(右)と出会って少しずつ変わっていく話。

悠子が風花と仲良くなり始めたとき、「風花を守りたい」という気持ちが強かったけど、ある出来事を通してそれは自分のエゴだったということに気づく描写が自分の経験とまるまる重なり、少しつらかった。
「〜してあげたい」という気持ちは善意でも、その時点で対等な関係とは思ってないよね、という。
本当の友達とはどっちか一方がもう一方を守ることじゃない、お互いに自立しながら支え合う様子がよかった。そういう関係がいいよね誰ともさ。

 

児童書を入手したとき「これは子どもたちのために残しておくべきだったのではないか」という罪悪感が結構あった。

就活中に幼児退行もどきで図書館や書店の児童書コーナーをふらふらしていた時期があって、「就職してお金に余裕が持てたら寺村輝雄の『わかったさん』『こまったさん』シリーズを集めよう」と決めてがんばってきたけど、今後は児童書買うの控えようと思った。

 

ほとんど児童書の話になってしまった。本当は玄米を食べ始めた話とかしたかったのに…。まあいいか。

 

 

 

睫毛を上げるのをやめたことについて一問一答

2月初旬からビューラーないしマスカラを使わない試みをしている。

先にまとめておくと、これは睫毛を上げない生活を試しにやってみたら、恐れていたほどの気分の落ち込みはなくて安心した、というだけの雑記。

 

・今まで

職場ではビューラーで睫毛をカールさせるだけ。特別人と会う用事があるときなどはマスカラもしてた。

 

・なぜやめたか

家で化粧して目的地に着くあいだに睫毛が元の角度に戻ってるから。

 

・カールを維持する努力をしたか

マスカラ下地をつけたり持ち運び用の小さいビューラーを購入したりしたけど、習慣づかない。マスカラ下地は塗布すると睫毛がものすごく固まるため、それ専用のリムーバーが必要となり、すぐ使わなくなった。持ち運び用ビューラーは実際の使いどころがわからず、いつしか持ち運ぶことが目的となってしまっていた。

 

・睫毛を上げることをやめるのに抵抗はあったか

あった。ビューラーははじめて手に入れた化粧アイテムだったので、まず睫毛を上げなきゃいけないもんだと思っていた。

 

・やめてみてどう感じたか

化粧時間が短くなり楽。

睫毛をカールさせる作業は和菓子職人のような繊細さが求められるがべつに嫌々やってるわけではなかった。睫毛が上がっている自分が好きだったからやっていたまでだ。

でもそこを省略しても特段自分に対する感情は変わらなかった。「睫毛を上げないなんて、自分はなんてだらしないんだろう」などとネガティブにはならなかった。睫毛を上げない選択をするのに向いている性格とそうでない性格があるかもしれない。

 

あと睫毛が花粉を受け止めている感じがして頼もしい。睫毛を上げると眼球が丸腰になってしまう。始めたのがたまたま花粉シーズンだったのはラッキーだと思う。

 

・ずっと続けるのか

試しにやっているだけなので割とすぐ飽きる可能性が高い。季節が変わったり、魅力的な化粧品が出たり、友人の睫毛がくるんとしていてかわいいなと思ったりしたら、いそいそと睫毛を上げ始めるだろう。

 

 

旅行と部屋の間取り

この半年で広島、大阪、仙台に行った。

出不精かつ計画を立てるのが死ぬほど苦手なので旅行は敬遠しがちだったんだけど、しっかりしてる友人と行けばなにもこわくなかった。

あと新幹線の乗り方ぜんぜん覚えられないけど、なんか毎回なんとかなった(という感想だけが残って結局どう動けばよいのかわからずじまいだ)。

もっと気楽に東京を離れても大丈夫なんだなということがわかった。

 

で、旅先で泊まるビジネスホテルの間取りを記録していた。

自分がいま住んでいる部屋がワンルームなので、家具の配置の参考にしようと思って。

 

大阪

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(なぜか全体的にアフリカンテイストだった)(この写真見せたらいろんな人にラブホテルかって聞かれたけど、ビジネスホテルだと思う)

 

仙台

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これらみたいに最低限の家具数ならワンルームでもすっきりするんだよな〜と思いながら、自室の真ん中で途方に暮れる。あ、旅行の話はこれで終わりです。

 

とにかく配置案をたくさんつくろうと思ってノートに書き出す。

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・左上が模様替え前の図。

・斜線は面積に入れない。

・左列の真ん中は部屋の面積。

・部屋が27マス分、家具面積の合計が17.5マス分。

・方角はなんか気分が出るかなと思って書いた。

 

ベッドは動かすのめんどいからそれ以外の配置を変える、とか、キッチン(この四角枠の外側にある)からテレビ観るから窓際にテレビ置くと見えない、とかいろいろ縛ってって、

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最終的にうずまきがついてる間取りになった。

ワンルームなので、掃除しながら移動させて3時間いかないくらいで終わる。

 

模様替えじつは3ヶ月に1回くらいのペースでやってるので、この配置もすぐ飽きるかもしれないけど、まあそんなもん。

また旅行行っていろんな部屋を見たい。

 

 

肌荒れと後輩

2019年を振り返るとタイトルの通りで、肌が異様に荒れたことと、後輩との行動が急激に増加したことが大きかった。


☆肌荒れ☆

4月 新年度を迎えたとたんに首に湿疹。かゆい。蕁麻疹だったら数時間で治るッショと思って放置してたら4日間くらい続いた。そこではじめて皮膚科に行った。最終的には腕や脚まで湿疹が広がっていた。

なんだかんだで1ヵ月半くらい続いたかな〜。一時期おさまったと思ってまた放置してたらゴールデンウィーク中に再発してしまい、皮膚科に行けなくて辛かった。

原因が特に思い当たらないが、まあストレスなんでしょう。3月は業務関係でめちゃくちゃ怒り狂ってたもんな。


10月 今度は顔が荒れた。夏に日焼け止めや化粧水なんかを一新したのでそのうちのどれかが合わなかったのかもしれない。皮膚科でやさしい乳液を処方してもらう。

このとき(今も一部続いているが)、錠剤3種、漢方1種、塗り薬2種にやさしい乳液と我ながら大げさじゃないかと思った。それでも即効性はなくて、毎日毎日静かに続けてある日気づいたらよくなってる気がする、という感じであった。

顔が荒れてずっとマスク生活をしていると、魅力的な化粧品があっても「でもつける顔がないな」となってしまい、結構鬱っぽかった気がする。

1月現在でも肌荒れ残ってるけどピークよりはだいぶマシになった。

勝手に断薬しないで地道に続けることが大切だと知った1年だった。



☆後輩☆

3月 バスツアーでいちご狩り

8月 浅草一日観光

9月 広島旅行

    相撲観戦


これぜんぶ違う後輩と行った。

お金を毎回多く出してるわけでもなし、なんで自分なんかと一緒に行動してくれるのかわかりませんが、ありがたいことですね。

あれかな。自分の毒にも薬にもならない人畜無害さが逆にウケてるのかな。

いつ自分が「嫌な先輩」になって嫌われてもおかしくないので、いまこの瞬間を大事にしたい2020。


☆その他☆

9月     台風で帰省が中止

10月 iDeCoをはじめる

           ドムドムハンバーガーと再会

12月   食中毒


今思えばアクシデントの多い1年だった。